十勝バス 路線廃止で消えるバス停と残る特例措置路線

もう撤去が始まってるかは分かりませんが記録に残す方がいるとは思えないので、この度のダイヤ変更で消えるバス停を十勝バス本社前から環状線、畜大線、各高校スクール線の順で一覧にしてみます。

今更気付きましたが、十勝バス本社〜本社南口を旅客を乗せて営業する便が全廃(回送車は多数走ります)ですね。

 

(1)国道西24条(国道沿い・東向きのみ)

maps.app.goo.gl

※他の三方向は存続

(2)国道西23条(両方向)

maps.app.goo.gl

(3)西2条1丁目(国道沿い・東向きのみ)

maps.app.goo.gl

※他の三方向は存続、サムネイルは西向きです

(4)大通1丁目(東向き)

maps.app.goo.gl

※西向きは3-1系統で存続

かつて旧循環線や中央線が走っていた頃は土木現業所前というバス停名でした。

(5)帯広神社前(東向き)

maps.app.goo.gl

※西向きは3-1系統で存続

かつて三条高校が移転するまでは三条高校前というバス停名でした。

(6)柏葉高校前(南向き)

maps.app.goo.gl

※北向きは3-1系統で存続

(7)帯広の森野球場前(7線道路沿い・両方向)

maps.app.goo.gl

※拓殖バスの路線及びバス停は存続

(8)帯広の森体育館前(両方向)

maps.app.goo.gl

※拓殖バスの路線及びバス停は存続

(9)帯広の森スピードスケート場前(両方向)

maps.app.goo.gl

※拓殖バスの路線及びバス停は存続

(10)白樺学園前(7線道路沿い・片側のみ設置)

 

maps.app.goo.gl

※拓殖バスの路線及びバス停は存続(バス停は学校敷地内)

 

環状線の経路上で廃止になるバス停は以上の10カ所です。

いやいや、環状線なら農業高校前から南の森西9丁目、東別府から栄通4丁目までの区間も廃止でしょと思う方がほとんどだと思うのですが、各高校へのスクール便がまだ走っているのです。スクールは高校生しか利用できないのかというとそんなことはないのが十勝バスHPにも書かれています。

www.tokachibus.jp

 

一般のお客様も利用可能ですが、学校以外のバス停では降車出来ませんのでご了承下さい。

って書いてるじゃないかと思う方もいるでしょうが、実は1路線だけ途中のバス停での降車制限のないスクール便路線があります。それがS12系統芽室〜国道経由〜工業高校線です。

https://www.tokachibus.jp/pdf/schoolpdf/s12_20221205.pdf

他のスクール路線では高校最寄りバス停以外に乗車のみ可能の丸印が付いている路線図ですが、S12系統だけは乗降可能の四角印だらけの路線図です。

なぜ、この路線だけ起終点以外はこんなに乗降ともに可能なバス停だらけなのかというと、この乗降制限撤廃の始まりは国道経由芽室線が廃止されたことがきっかけでした。芽室から国道西24条までの間の通勤利用者がいたための特例措置として乗降制限を外したのでした。ですのでこのS12系統だけは、便数が登校日のみ1往復とはいえ一般路線と同様に往復で利用することができるのです。

 

さて、環状線以外の廃止バス停の続きです。まずは畜大線から。

(11)駒翠(両方向)

maps.app.goo.gl

(12)畜産大学前(両方向)

maps.app.goo.gl

ここのグーグルストリートビューの2014年版に隠れていたJR北海道バスが露わになっています。

裏面は懐かしのツバメ

(13)畜大農場前(折返場内片側のみ)

maps.app.goo.gl

西2線道路沿いの南向きは川西中学校・八千代・戸蔦線が廃止された時に撤去されてます。毎日交通のあいのりバスのバス停でもあるんですがなぜか標柱はありません。

mainichi-k.jp

 

次にS2系統でかつての国鉄バス→JRバスとの競合路線でスクール便専用となり廃止されるバス停を。

(14)緑ヶ丘(両方向)

maps.app.goo.gl

(15)美術館前(両方向)

maps.app.goo.gl

かつては児童会館前というバス停名でした。

(16)動物園正門前(両方向)

maps.app.goo.gl

かつては動物園前というバス停名でした。

(現在の動物園前バス停は以前動物園南門、さらに前は法広寺というバス停名でした)

(17)緑南郵便局前(両方向)

maps.app.goo.gl

かつては東官舎入口というバス停名でした。

 

S5系統でかつての市内幹線である東校経由中央線から循環線、そして稲田橋線と変わりスクール便専用となったバス停を。

(18)東9条(国道沿い・西向き片側のみ)

maps.app.goo.gl

※バス停名に丁目の表記はありません

(19)東8条(国道沿い・西向き片側のみ)

maps.app.goo.gl

※バス停名に丁目の表記はありません

(20)東校前(国道沿い・西向き片側のみ)

maps.app.goo.gl

 

S5系統で以前から一般路線の経路とは別のスクール便専用だったバス停2つ。

(21)国道西17条(弥生新道沿い・南向きのみ)

maps.app.goo.gl

(22)柏林台北町1丁目(弥生新道沿い・南向きのみ)

maps.app.goo.gl

 

S5系統で同じ弥生新道沿いですが、かつての市内幹線である柏林台線や北町経由時代の幕別・池田線、西陵中学校周辺の道路開通までの間の芽室・新得線時代からスクール専用に変わったバス停が2つ。

(23)柏林台西町3丁目(弥生新道沿い・南向きのみ)

maps.app.goo.gl

柏林台線が走っていた頃はバス停名に柏林台が付かず、西町3丁目でした。

(24)柏林台西町2丁目(弥生新道沿い・南向きのみ)

maps.app.goo.gl

柏林台線が走っていた頃はバス停名に柏林台が付かず、西町2丁目でした。

 

1993年から2002年3月まであった芽室大谷線からS5系統のスクール便専用になったバス停が1つ。

(25)西18条2丁目(弥生新道沿い・南向きのみ)

maps.app.goo.gl

かつては南町3丁目(白樺通沿いのバス停と同名)でした。

 

最後にS7系統でスクール便専用として設置されたバス停1つ。

(26)大谷高校前

maps.app.goo.gl

畜大行きは四度消える 後編

かつて国鉄バス→JRバスと十勝バスとの競合路線であった帯広駅前〜畜大農場前間のバス路線。後編では畜大(畜大農場前)が路線バスの行き先として四度消えることになった経緯を見てみましょう。

 

1989年10月 畜大周辺(青線 JR、黄線 十勝)

1989年8月18日の改正でJRバスに中鈴蘭・西23条4丁目両方面から畜大農場前に直通する便が片方向のみ新設されます。

1989年10月21日の改正での十勝バスの変化は八千代線の四中〜南8線〜稲田橋間を西8条29丁目経由へ(稲田橋線減便の代替)、川西中学校線は南8線〜北高〜農校間を工業高経由へ変更しています。

A1系統(西5条・南8線経由 畜大線)

富士銀前〜市役所前〜四中前〜南8線〜日甜住宅前〜工業高校前〜農校〜畜大農場前

A2系統(西5条・西8条29丁目経由 八千代線)※稲田橋線経路に変更

富士銀前〜市役所前〜四中前〜西8条29丁目〜日甜住宅前〜工業高校前〜農校〜畜大農場前

A3系統(グリーンパーク・工業高経由 川西中学校線)※北高経由から工業高経由に変更

富士銀前〜市役所前〜グリーンパーク〜南8線〜日甜住宅前〜工業高校前〜農校〜畜大農場前

C系統(グリーンパーク・北高・畜大北門経由 大空団地線)

富士銀前〜市役所前〜グリーンパーク〜南8線〜北高〜農校〜畜大北門〜大空団地

E系統(南7線・畜大北門経由 大空団地線)

富士銀前〜市役所前〜四中前〜南7線〜日甜住宅前〜工業高校前〜農校〜駒翠〜畜大北門〜大空団地

 

1990年4月 十勝バス 畜大農場方面は川西中学校線と八千代線のみへ減便、畜大行き時刻表から最初の消滅

帯広駅前(富士銀前)発西8条29丁目周辺行きも八千代線のみに再度減便(下り稲田橋線全廃)

1993年4月21日 八千代線を川西小学校前にて分割、川西中学校線と同一経路へ変更。この時、旧ダイヤにあった富士銀前8時00分発八千代行きが畜大農場までへ短縮して畜大行きが最初の復活

A系統(グリーンパーク・工業高経由 川西中学校線)※八千代線も同一経路

富士銀前〜市役所前〜グリーンパーク〜南8線〜日甜住宅前〜工業高校前〜農校〜畜大農場前

C系統(グリーンパーク・北高・畜大北門経由 大空団地線)

富士銀前〜市役所前〜グリーンパーク〜南8線〜北高〜農校〜畜大北門〜大空団地

E系統(南7線・畜大北門経由 大空団地線)

富士銀前〜市役所前〜四中前〜南7線〜日甜住宅前〜工業高校前〜農校〜駒翠〜畜大北門〜大空団地

 

1996年12月21日 帯広工業高校が移転

1998年8月 十勝バス 畜大行き設定無し、二度目の消滅(南7線・畜大北門経由大空団地線も廃止)

A系統(グリーンパーク・工業高経由 川西中学校線)※八千代線も同一経路

富士銀前〜市役所前〜グリーンパーク〜南8線〜日甜住宅前〜稲田南(旧工業高校前)〜農校〜畜大農場前

C系統(グリーンパーク・北高・畜大北門経由 大空団地線)

富士銀前〜市役所前〜グリーンパーク〜南8線〜コンピューター専門学校前(旧北高前)〜農校〜畜大北門〜大空団地

1998年8月 畜大周辺(青線 JR、黄線 十勝)

工業高校移転後、稲田地区周辺の出来事は

1998年11月9日 イトーヨーカドー旧店舗閉店

1998年11月27日 イトーヨーカドー新店舗開店

1999年1月18日 十勝バス畜大行き、二度目の復活(JRバス帯広地区撤退代替)

 

JRバス撤退後の畜大周辺のバス路線は以下の3系統になりました。

A系統(グリーンパーク・工業高経由 川西中学校線)※八千代線も同一経路

バスタッチ8番〜市役所前〜グリーンパーク〜南8線〜日甜住宅前〜稲田南〜農校〜畜大農場前

C系統(グリーンパーク・北高・畜大北門経由 大空団地線)

バスタッチ8番〜市役所前〜グリーンパーク〜南8線〜コンピューター専門学校前〜農校〜畜大北門〜大空団地

H系統(緑ヶ丘経由 畜大線他2路線)※帯広駅〜市役所間以外は旧JRバス経路と同一

バスタッチ8番〜市役所前〜春駒通〜緑ヶ丘〜東官舎〜農校〜畜大農場前

 

2000年4月21日 環状線・S循環線運行開始(環状線帯広の森線と畜大北門経由大空団地線の統合、S循環線は帯広駅〜緑ヶ丘〜自衛隊〜十勝共栄のJRバス経路と1989年十勝バスA1系統の統合路線)

2000年4月 畜大周辺

A系統(グリーンパーク・工業高経由 川西中学校線)

バスタッチ8番〜市役所前〜グリーンパーク〜南8線〜日甜住宅前〜稲田南(旧工業高校前)〜農校〜畜大農場前

C系統(グリーンパーク・北斗病院・緑陽高・空港南町経由大空団地方面 環状線

※畜大北門〜空南橋〜南10線〜大空団地から畜産大学入口〜学園橋〜緑陽高校前〜空港南町〜大空団地に経路変更

バスタッチ8番〜市役所前〜グリーンパーク〜南8線〜日甜住宅前〜北斗病院前〜農校〜緑陽高〜畜大北門〜大空団地

H系統(緑ヶ丘経由 畜大線)※下り帯広駅〜西3条9〜市役所間以外は旧JRバスと同一経路

バスタッチ8番〜市役所前〜春駒通〜緑ヶ丘〜東官舎〜稲田南〜農校〜畜大農場前

 

2003年10月1日 畜大線とS循環線が自衛隊・稲田線に短縮統合(畜大行き、三度目の消滅)

2003年10月畜大周辺(実線J系統、点線A及びC系統、丸線H系統)

A系統(グリーンパーク経由 川西中学校線)

バスターミナル11番〜グリーンパーク〜西5条34(旧南8線)〜日甜住宅前〜稲田南〜農校〜畜大農場前

C系統(グリーンパーク・北斗病院・緑陽高・空港南町経由大空団地方面環状線

バスターミナル11番〜グリーンパーク〜西5条34〜日甜住宅前〜北斗病院前〜農校〜緑陽高〜畜大北門〜大空団地

H系統(農業・緑陽スクール)

※旧JRバス経路西12条〜緑南郵便局前と東官舎〜十勝共栄(現南町中学校入口)間は農業・緑陽高スクール便のみに

バスターミナル9番〜春駒通〜緑ヶ丘〜東官舎〜稲田南〜農校〜緑陽高

J系統(自衛隊・稲田線)※グリーンパーク入込無し

バスターミナル9番〜四中〜東官舎〜自衛隊〜日甜住宅〜農校〜北斗病院〜コンピューター専門学校〜イトーヨーカドー

※西5条13〜四中〜(新)動物園前(旧動物園南門)〜公南弥生トンネル〜東官舎〜自衛隊前〜緑南郵便局前〜公南弥生トンネル〜日甜住宅〜稲田南経由へ経路変更

このダイヤ改正で東8条15丁目(旧JRバス営業所)〜畜大方面への直通便廃止。

 

2004年4月1日 2003年10月の経路変更区間の一部(東官舎〜十勝共栄〜稲田南間)は再びJRバスと同じ経路に戻る。

2005年9月30日 十勝バス戸蔦線・八千代・川西中学校線廃止(毎日交通 あいのりバスへ転換)

2005年10月1日 十勝バス畜大行き、三度目の復活(川西中学校線の短縮)※グリーンパーク入込無し

 

2007年10月1日 自衛隊・稲田線と畜大線の四中〜東官舎間経路変更(四中〜弥生通〜自衛隊〜東官舎)

2007年10月 畜大周辺(実線J系統、点線C系統、丸線H系統)

C系統(グリーンパーク・北斗病院・緑陽高・空港南町経由大空団地方面環状線

バスターミナル11番〜グリーンパーク〜四中〜西5条34〜西12条34〜北斗病院前〜農校〜緑陽高〜畜大北門〜大空団地

H系統(農業・緑陽スクール)

バスターミナル9番〜西12条〜緑南郵便局前〜東官舎〜農業〜緑陽高

J1系統(自衛隊・稲田線)※一部便は駅前〜保健福祉センター直通(途中無停車)

保健福祉センター〜バスターミナル9番〜四中〜弥生通〜自衛隊〜稲田南〜農校〜北斗病院〜コンピューター専門学校〜イトーヨーカドー

J2系統(畜大線)

バスターミナル9番〜四中〜弥生通〜自衛隊〜稲田南〜農校〜畜大農場

 

2007年の経路では自衛隊・稲田線、畜大線ともにグリーンパークに入り込みがなかったですが先に自衛隊・稲田線が、遅れて畜大線がグリーンパークを経由するようになり現行の路線のようになりました。

 

そして2023年8月20日をもって畜大行きは四度目の消滅となります。畜大線は全便休日運休なので乗車できるのは8月18日が最後です。廃止と言いつつ四度復活した畜大線でしたが、昨今の情勢を考えると67年間の運行で最後になりそうですね。

そして同時に、農高住宅前まで国鉄→JRバスの経路を忠実に走っていた農業高・緑陽高スクール線も廃止になります。

 

畜大行きは四度消える 前編

かつて国鉄バス→JRバスと十勝バスとの競合路線であった帯広駅前〜畜大農場前間のバス路線が廃止されることが報道されました。

そもそもこの路線の始まりは一体いつからだったのか、軽めながらも振り返ってみます。

 

帯広畜産大学へ行くバス路線の誕生は、1956年4月に十勝バスに畜大まで免許が交付されたのが始まりのようです。十勝鉄道の川西以南の廃止が1957年8月18日ですので、この頃は鉄道とバスの両方を見られたはずです。

十勝鉄道の川西以南の旅客営業廃止向けて代替バスの運行が問題となります。路線免許は国鉄バスと十勝バスの二社競願となり、戸蔦へは国鉄、八千代へは十勝バスという裁定でした。もし国鉄バスが八千代地区にも進出できていたら、中札内〜十勝清川〜上帯広〜北伏古〜芽室〜御影なんて路線ができていたかもしれません。

 

1956年4月 (十勝)畜大線 免許交付

1957年7月18日(国鉄)東官舎入口〜岩内仙境間開業

1957年7月(十勝)八千代線免許交付(国鉄バスと同時開業か?)

1957年8月18日 十勝鉄道 川西以南廃止

1959年11月15日 十勝鉄道 川西以北旅客営業停止

1962年5月 国鉄バス 岩内仙境〜中仙境間、及び農学校前〜畜大東門間開業(東門は現在の正門)

1964年4月 帯広工業高開校

1965年11月1日 国鉄バス農学校前〜川西中学校前間廃止、及び畜産大学前〜西二線八号〜川西中学校開業。西3線(畜大西側)から西2線(十勝鉄道沿い)へ。(両社駒翠〜川西中学校間経路変更か?)

 

旧川西村の村域は道路整備が他町村と比べて遅れており、十勝鉄道が廃止になってから西2線道路が拡幅されたようです。国鉄バスの畜大までの経路は、帯広駅〜記念碑前〜西十二条〜緑ヶ丘〜東官舎前〜畜大となっています。

ここで、西3線が川西への幹線だった時代に畜大周辺ではどこで折り返していたのかという疑問が出てきます。

1959年 畜大周辺 国土地理院の航空写真を加工

1968年 畜大周辺 国土地理院の航空写真を加工

1959年の航空写真では以前の正門(現在の北門)の西側に転回できそうなスペースが見られます。1968年の航空写真には1958年には存在しない現在でも残っている畜大農場前バス停のある場所に折返場ができています。

1962年5月の国鉄バスの小規模な延伸は何なのかとなりますが、これはおそらく畜大行きが東門で折返していたのではないかと考えられます。運行当初から畜大折返しの区間便が運行されていたかの記録は見つかりませんが、2年後の1964年には帯広工業高校も開校するので特に冬季の通学需要に対応するには畜大までの区間便の設定は必須だったでしょう。

 

1977年5月1日改正時点での十勝バスの畜大周辺路線は以下の7系統がありました。

1977年 畜大周辺(青線 国鉄、黄線 十勝)

A系統(畜大・八千代・西5条経由 豊西19号線)

駅前2番〜大通16丁目〜四中前〜南8線〜日甜住宅前〜工業高校前〜農校〜畜大農場前

B系統(川西中学校・大通経由 豊西19号線)

駅前2番〜大通16丁目〜大通27丁目〜川西1号〜農校〜畜大農場前

C系統(南8線・畜大北門経由 大空団地線)

富士銀前〜市役所前〜四中前〜南8線〜日甜住宅前〜工業高校前〜農校〜畜大北門〜大空団地

D系統(南7線・畜大農場経由 大空団地線)

富士銀前〜市役所前〜四中前〜南7線〜日甜住宅前〜工業高校前〜農校〜畜大農場前〜畜大北門〜大空団地

E系統(南7線・畜大北門経由 大空団地線)

富士銀前〜市役所前〜四中前〜南7線〜日甜住宅前〜工業高校前〜農校〜駒翠〜畜大北門〜大空団地

F系統(大通経由柏葉高校行き、片方向のみ)※帯広駅前入込無し

畜大農場前→農校→日甜住宅前→南8線→四中前→大通16丁目→東3条→柏葉高校前

G系統(市役所経由駅前行き、片方向のみ)

畜大農場前→農校→日甜住宅前→南8線→四中前→市役所前→西3条10丁目

 

1981年 十勝バス帯広営業所が移転し、ラッシュ時の一部を除き全便市役所・柏葉高校前経由して西23条北1丁目まで延長。

1983年 帯広北高が移転し畜大北門経由大空団地線の経路が変更されます。

1983年 畜大周辺(青線は国鉄バス、黄線は十勝バス)

A系統(西5条経由 畜大・八千代線)

富士銀前〜市役所前〜四中前〜南8線〜日甜住宅前〜工業高校前〜農校〜畜大農場前

B系統(大通経由 川西中学校線)

駅前2番〜大通16丁目〜大通27丁目〜川西1号〜農校〜畜大農場前

C系統(グリーンパーク・畜大北門経由 大空団地線)

富士銀前〜市役所前〜グリーンパーク〜四中前〜南8線〜北高前〜農校〜畜大北門〜大空団地

E系統(南7線・畜大北門経由 大空団地線)

富士銀前〜市役所前〜四中前〜南7線〜日甜住宅前〜工業高校前〜農校〜駒翠〜畜大北門〜大空団地

 

一方、国鉄バスからJRバスへの移管に前後して、畜大農場以南の路線は段階的に縮小されています。

1985年2月1日 国鉄バス清川・戸蔦周辺の枝線廃止

1985年5月1日 十勝バス 川西中学校線経路変更(大通から西5条経由へ)、柏葉高校前〜帯広駅前間を9丁目から11丁目経由へ。(駅前〜協会病院前間は国鉄バスと同一経路)

1985年8月10日 国鉄バス戸蔦〜中仙境間廃止

1986年12月11日 国鉄バス畜大農場〜戸蔦間廃止(十勝バスが代替バスを運行)

1986年 畜大周辺(青線 国鉄、黄線 十勝)

十勝バスの畜大周辺路線は1985年5月改正での川西中学校線の経路変更後、以下の4系統となります。

A系統(西5条経由 畜大・八千代線)

富士銀前〜市役所前〜四中前〜南8線〜日甜住宅前〜工業高校前〜農校〜畜大農場前

B系統(西5条・北高経由 川西中学校線)※グリーンパーク入込無し→1987年8月から入込開始=駒翠までC系統と同一化

富士銀前〜市役所前〜四中前〜南8線〜北高前〜農校〜畜大農場前

C系統(グリーンパーク・畜大北門経由 大空団地線)

富士銀前〜市役所前〜グリーンパーク〜四中前〜南8線〜北高前〜農校〜畜大北門〜大空団地

E系統(南7線・畜大北門経由 大空団地線)

富士銀前〜市役所前〜四中前〜南7線〜日甜住宅前〜工業高校前〜農校〜駒翠〜畜大北門〜大空団地

 

前編では両社とも一度も行き先として消えることのなかった畜大(畜大農場前)行きですが、行き先として消えたり復活したりの話は後編に続きます。

GO WEST! 新緑通

先日、帯広大谷高校の校舎が建て替えへという記事が十勝毎日新聞に掲載されていました。

kachimai.jp

公告は4年前に出ていたようです。

e-kensin.net

 

今の校舎は1977年竣工で移転も同年とのこと。LEDの行き先表示になってから新緑通の表示もされるようになりましたが、方向幕だった頃は大きく大谷高と書かれたバスを市内で見かけた方も多いことでしょう。

さて、今回はそんな大谷高校(新緑通)へ行くバス路線の歴史の話です。

1.西7条拓鉄バス時代

西7条南14丁目に拓鉄バス(現在の拓殖バス)の車庫があったのは、創立60周年切手の絵柄や付録の路線図でご存知の方も多いでしょう。航空写真を見るかぎり、戦前の拓殖鉄道バス部以前の山口自動車時代には西7条に車庫が存在していた形跡はなく、戦時統合が解消されてから拓殖鉄道のバス部の車庫が置かれたのが最初のようです。

車庫の詳細な設立時期は不明ですが、新緑通の路線バスの始まりは拓鉄バスの車庫への出入系統の運行と言って良いようです。

 

1953年3月、十勝バスのにとって戦後の新規市内線第1号である帯広駅〜競馬場〜春駒橋の西15条線が認可。1959年7月、西15条線の春駒橋周辺での循環運転が認可されました。十勝バス70年史121ページでは免許年月は1959年7月ですが、同じページの前後の路線は1960年の認可なので春駒橋循環も1960年から運行した可能性があります。この頃までには西15条線ではなく春駒橋線と呼び方が変わっていたようです。

この頃は先述の拓鉄バスの車庫があったので、十勝バスの新緑通を走る路線は西8条より西のみ走っていたようです。

また、近傍で十勝バスは1955年12月に青葉通と春駒通を通る緑ヶ丘病院線、1958年10月には白樺通を通る柏林台線の運行を始めます。

 

拓殖バスの車庫が西18条の工業団地へ移転する前年の1966年の路線状況は下図の通りです。

帯広駅〜白樺通〜西8条〜新緑通〜春駒橋〜新緑通〜西8条〜白樺通〜帯広駅という循環路線で、朝1便のみ新緑通を経由する柏林台行きがあり、朝ラッシュ時の駅前行きは西2条を通らず西3条9→大通9(富士銀前)→大通11→駅前(川上病院前)という片循環運行でした。また、この当時は帯広駅前午前発の便が緑ヶ丘小学校先回り、午後発の便が西15条13丁目先回りと時間帯により周り順が違ったそうです。

 

新緑通1966年 黄は十勝バス・赤は拓殖バス・青は国鉄バス

2.北見バス宅地開発時代

従前の15系統春駒橋線とは別に、1977年には現在のイオンの場所にあった大谷高校が西19条南4丁目に移転して、6月に新緑通の西16条以西へのバス路線延伸が認可され19系統西19条4丁目線として運行されます。路線名もバス停も西19条4丁目ですが住所としては西20条南4丁目にバス停がありました。

なぜ、路線名やバス停名が西20条4丁目ではなく西19条4丁目になったか定かではありませんが、南側の春駒通を走る国鉄バスの過半数は西19条行きとして今の西19条5丁目バス停発着の便であったことから西20条より西19条のほうが乗客には分かりやすかったのかもしれません。

この新緑通の十勝バス西19条4丁目バス停と春駒通の国鉄バス西19条バス停の間の畑が、北見バスの不動産部の手により住宅地として開発される寸前の航空写真が下になります。

f:id:Zentokachinoriai:20220402183922j:plain

国土地理院の航空写真を元に加工(黄=十勝バス・青=国鉄バス)

西帯広ニュータウン開発以前のこの時代に北見バスがなぜこの地を宅地開発しようとしたのか今となっては不明なことが多いですが、大空団地以降西帯広ニュータウンまでの間は民間主導の宅地開発が他にもありますのでそういう時代だったのでしょうか?

 

また、この時までに、15系統春駒橋線は春駒橋周辺の周り順が時間を問わず西15条13丁目先回りに統一されました。(西14条13→西15条13→春駒橋→緑ヶ丘小学校→西14条13)

朝ラッシュ時の駅前行きの大通経由は維持されてますが、10年前に朝1便あった新緑通経由の柏林台行きは既にありません。

f:id:Zentokachinoriai:20220328203441j:plain

新緑通1977年 黄は十勝バス・青は国鉄バス

3.十勝バス西進時代

zentokachinoriai.hatenablog.jp

1981年11月に十勝バスの市内営業所・車庫が統合されると、新緑通や春駒通を通る十勝バスの路線は栄通(西10号)を通り国道38号線まで伸びるようになります。

この頃の新緑通を通る十勝バスはまだどの系統(40〜51系統)も同じ経路で運行されていました。

 

f:id:Zentokachinoriai:20220328204231j:plain

新緑通1981年 黄は十勝バス・青は国鉄バス

国鉄からJRに変わった1987年4月、JRバスが新緑通公住のある西21条の一部に進出し、同年8月には十勝バスの40系統・41系統音更線が新緑通を開西小学校や西帯広公園の西側にある緑園通を通るようになります。

この頃は、まだ中島通に架かる開西橋がありませんので40・41系統の経路は、帯広営業所〜三条高校〜(緑園通)〜新緑通公住〜大谷高校となります。45〜51系統は従前の国道西20条・西10号橋経由です。

 

f:id:Zentokachinoriai:20220402195038j:plain

新緑通1987年 黄は十勝バス・青はJRバス

1989年8月に南商業高校が移転しJRバスは新緑通公住からさらに西進し西23条南4丁目まで運行します。同年、十勝バスは中島通に橋が架かりバスが通行できるようになると、40・41系統や春駒通を通る路線は新緑通23条を通るようになります。

f:id:Zentokachinoriai:20220402195429j:plain

新緑通1989年 黄は十勝バス・青はJRバス

1996年5月、国道西20条・西10号橋経由だった45〜51系統が中島通アンダーパス・西10号団地経由へ変更となります。

f:id:Zentokachinoriai:20220402205447j:plain

新緑通1996年 黄は十勝バス・青はJRバス

春駒橋周辺にあったバス停の最大数は以下のように推測します。

f:id:Zentokachinoriai:20220330120423j:plain

春駒橋・緑小周辺バス停(▲は推定) 黄は十勝バス・青は国鉄バス

▲の場所は春駒橋周辺の循環運行が両周りで行われていた時の推定位置。

現在は緑小1・2のバス停を拓殖バスが、緑小4・5のバス停を十勝バスが使用。緑小6・西14条16丁目・春駒橋・五中入口のバス停が廃止されています。

道東バス (それなりに)全路線一覧

謎多き道東バス株式会社。

釧路地方の雄鉄バスの車両が廃業時に移籍してきたり、時刻表に菱雄の石炭や雄別興産の広告が出ていたなど雄別炭礦系列との関わり合いも多かったようですが、鉄道と違い痕跡の残りにくいバス業界。十勝バス70年史以外には、なかなかこれといった痕跡はありません。

 

そんな中ですが、1965年夏あたりの情報をもとに路線網を書いてみます。一部、推測が含まれますので正しい情報をお持ちの方はぜひコメントにてお知らせください。

 

【1】市内線

(系統番号は筆者が便宜的に割り振ったもので公式のものではありません)

f:id:Zentokachinoriai:20211003223246j:plain

道東バス 市内線(□は路線の起終点・○は主な経由地)

1  市内本線(駅前〜大通8〜大通6〜電信通〜東10条5)

郊外線もこの経路で走っていたようで、運用として駅前発着の郊外線の出入庫路線を兼ねてました。路線全般が十勝バスの大通・西2条経由中央線や茂岩方面各線と競合路線でした。

 

2 支庁線東11条廻り(車庫前〜営林署前〜六中前〜支庁前〜富士銀前〜駅前〜富士銀前〜支庁前〜六中前〜営林署前〜車庫前)

3 支庁線東9条廻り(車庫前〜東9条〜柏校前〜支庁前〜富士銀前〜駅前〜富士銀前〜支庁前〜柏校前〜東9条〜車庫前)

どちらも駅前を循環する路線となっていますが、車庫から駅前は行きと同じ経路で戻っていました。駅前から六中前までは十勝バスの緑ケ丘病院線と競合していました。

 

4 市内循環線東廻り(車庫前〜国道〜神社〜東3条〜富士銀前〜駅前〜東2条〜26丁目〜西3条26〜西3条〜大通16〜駅前〜富士銀前〜東3条〜神社〜国道〜車庫前)

5 市内循環線西廻り(車庫前〜国道〜神社〜東3条〜富士銀前〜駅前〜大通16〜西3条〜西3条26〜26丁目〜東2条〜駅前〜富士銀前〜東3条〜神社〜国道〜車庫前)

こちらも車庫から駅前は行き帰り同じ経路で、市内南部が循環区間でした。神社から車庫までが十勝バスの柏校経由中央線、9丁目通から駅前は自社の支庁線や十勝バスの緑ケ丘病院線と競合、駅前以南は十勝バスの中央線と循環線の間を縫うように東2条通と西3条通を通っていました。

十勝バス70年史の58ページ、競合事案等処理方針にある十勝バスの小循環線の申請に「B社に対し、市内循環線の増回」を認めるという記述はこの路線のことでしょう。

 

6 日甜線(車庫前〜国道〜神社〜東3条〜富士銀前〜駅前〜大通〜大通26〜西2条〜川西マート〜南8線〜日甜社宅前)

車庫から駅前は市内循環線と同じ経路で、駅前以南は大通を26丁目まで直行して26丁目通・西2条南橋・33丁目の川西農協支所(川西マート)・南8線を通り日甜社宅まで。駅前以南で十勝バスの中央線や大正方面の郊外線、自社の大正廻り糠内循環線、南8線以西の稲田通で十勝バスの畜大線・空港線・八千代線や日甜住宅線と競合していました。

 

十勝バス70年史によると競合事案となった事の発端は十勝バス側だったようで、既にあった駅前〜大通16〜四中〜法広寺〜東官舎〜稲田〜日甜住宅の東官舎線、駅前〜大通16〜四中〜南8線〜日甜住宅線の他に、新規で柏葉高・市役所〜西5条〜日甜購買前の路線を1965年5月4日に申請します。

十勝バスにとっては日甜購買前〜柏葉高1回(市役所6回)という申請は、社宅中心街から柏葉・三条・北高への通学需要を満たすためだったのかもしれませんが、おそらく道東バスにとって脅威だったのは市内南西部(稲田地区)から市内北東部に駅前を直通する路線を持たれることだったのでしょうか?

十勝バスから遅れること一月、道東バスも日甜社宅前〜大通〜富士銀と日甜社宅〜大通〜車庫前(東10条)の2路線を1965年6月7日に申請し、結果両社7回ずつで認可されたようです。

この道東バスの免許申請でいう日甜社宅前が十勝バスの日甜住宅前と同一かはさしたる証拠がないので、同一かもしれませんし、同一ではないかもしれません。当時の南8線寄りの北側社宅街と購買寄りの南側社宅街や工場寄りの東側社宅街の間に流れる売買川に架かる橋は木橋で車両が通れる幅はなかったので、川は渡らなかったでしょうが社宅街での折り返しは十勝バスと違った場所だった可能性はあるかもしれません。

 

一方、道東バス合併後の十勝バス時刻表では、この道東バスの社宅発の路線を引き継いだであろうニッテン線は終点が日甜住宅前ではなくニッテンというカタカナ表記のバス停でこれは日甜購買前にあたります。この十勝バスのニッテン線は道東バスの路線をそのまま引き継いだわけではなく、道東バスの日甜線の経路を利用しつつ購買前の路線と一本化して上手く整理したようです。

 

7 帯里線(東校〜帯里橋〜下水終末処理場南側〜水光園東側〜車庫前)

この路線は免許上の路線キロ1.422kmしか分からず実際にどういった運用をしていたか不明です。帯広駅前まで運行していたでしょうが、東3条経由だったのか違う道路を通っていたのかは一切分かりません。

なぜ帯里橋という今となってはそれほどメジャーな施設でない所にバス路線を申請したかというと、おそらく帯里橋の先に1952年まで越中渡という十勝川渡し船があったからだと考えられます。

www.city.obihiro.hokkaido.jp

 

【2】郊外線

(止若は現在の幕別駅周辺市街地です)

郊外線についてはこれまでも各町村の記事で書いてきましたので詳細はそちらで。実際の運行は次のようになっていたようです。

f:id:Zentokachinoriai:20211005122114j:plain

道東バス 郊外線(□は路線の起終点・○は主な経由地)

[1]幕別町

 

8 止若線(帯広駅〜札内〜止若)

糠内・新田牧場・池田・本別以遠各線の長距離便とその隙間を止若起終点の便で埋めて毎時2本以上の間隔で運行していたようです。

 

9 糠内線(帯広駅〜札内〜止若〜糠内)

道東バス発祥の路線の一つでもある1930年8月創業の糠内自動車の本線ともいうべき糠内線は5往復。猿別川東岸を走り、下り初便のみ止若始発で送り込んで、残りは全線通し運行でした。創業時も止若〜糠内は5往復で運行を開始しているので、35年経ってもそれほど需要に差がなかったのかもしれません。

 

10 大正糠内止若循環東廻り(帯広駅〜止若〜糠内〜明倫〜西似平〜大正〜愛国〜帯広駅)

全線循環は1便で西似平発帯広行きと明倫発帯広行きを1便ずつ運行していたようです。

11 大正糠内止若循環西廻り(帯広駅〜愛国〜大正〜西似平〜明倫〜糠内〜止若〜帯広駅)

こちらも東廻り同様、全線循環は1便のみで西似平行きと明倫行きの区間便が1便ずつだったようです。

 

12 牧場線(帯広〜札内〜止若〜猿別〜新田牧場)

幕別十字街の五叉路(十字街なのに)をしばらく糠内系統と同一路で南下したのち、おそらく旧国道から猿別の今は十字路(当時は丁字路が連続していた)を経て糠内線とは逆の猿別川西岸をひたすら南下する経路だと考えられます。1日2便の運行でしたが全便帯広直通運行。

ほぼ同じ距離の対岸を走る糠内線より少し所要時間がかかっていたのは、西猿別から新和までの区間で勾配と急カーブがあったからでしょう。もしかしたらかつては図中点線で示したように新田牧場から先、糠内まで走る便もあったかも?

 

13 途別線(帯広〜札内〜途別〜古舞)

札内川猿別川の間の低地を流れる途別川沿いの路線。全線通しが朝夕2便、昼間の1便は途中の途別止まりでした。

 

14 日新線(帯広〜札内〜吐月橋〜依田高台〜日新)

途別川東岸の高台地区を走っていた路線。こちらも図中点線のように日新から先、坂を下って途別まで走っていたかもしれません。

 

15 糠内駒畠線

国鉄バスの駒畠への進出より前、奥糠内と呼ばれていた駒畠には糠内自動車が創業より路線バスを運行していました。十勝バス70年史によると創業時には糠内〜駒畠間で4往復を運行とありますが、1965年頃の時刻表には既にダイヤの掲載がありません。

 

[2]池田町

池田町の路線の歴史はこちらも参照ください。

 

16 池田茂岩線(協力街道経由)

根室本線の線路沿いには国鉄バスの路線があったので十勝川沿いの低地の道路を走っていたのでしょう。道東道が池田までの頃は釧路への高速バスが同じ道を走っていました。

 

17 池田線(帯広〜札内〜止若〜利別〜池田) 

下り3便上り4便。上り最終便のみ急行運転をしていたのは阿寒湖発十勝川温泉行きの特急ぎんりん号から帯広に向かう乗客の接続を取っていたためでしょう。同一乗車券で乗り継げたのかとか乗継割引とか気になります。

 

18 帯広青山線(車庫前→札内→止若→利別→豊田→青山)

帯広駅前ではなく車庫前始発の下りのみの1便。季節運行の阿寒湖特急を除けば下り初便。実質的には次に述べる青山発池田行きの送り込みのための便です。

 

19 青山池田線(青山→豊田→利別→池田)

上りのみ1便。池田への通学便として十勝バスとの合併後も1987年頃までは残っていました。1989年冬ダイヤ改正で青山池田線は廃止されたようですが、これは利用者がいなくなったからではなく足寄から帯広への上り初便が8時発から7時発と1時間早くなり、結果青山から利別乗継で池田まで8時半には到着できる状態が維持されたからでした。足寄線が青山経由から様舞経由になるまでこの接続は維持されました。

そして余談ですが、1993年夏ダイヤで今度は16時15分池田駅前発利別・青山経由高島行きという逆方向の足寄線の区間便が誕生します。今度は下校時間での運行です。夕方の足寄行き1便減便で下校時間に乗れるバスがないための措置だったのでしょうが、これがのちの足寄線の様舞経由への経路変更の伏線となったのかもしれません。

 

20 利別池田線

利別川を挟んだ利別池田両市街地の区間需要と池田から帯広本別方面への乗継需要のための路線でした。こちらも青山池田線と同じく1989年冬ダイヤまでに廃止されました。

先に述べた青山発や帯広池田線の合間で運行していたようです。

 

[3]本別町

本別町の路線の詳細や歴史はこちらを参照ください。

 

20 留真線(本別〜坂の上〜仁生〜活平〜留真)

21 川上線(本別〜坂の上〜英穂〜川上)

22 拓農線(本別〜新町〜講習所〜拓農入口)

講習所は現在の農業大学校。1日3便で昼の1往復は講習所折り返し。道東バスの支線では二番目に日帰りでの駅前市街地滞在可能時間が短く、始発で来ると4時間15分後のバスに乗らないと日帰りできません。

 

23 美里別線(本別〜ビラ〜チエトイ入口〜下美里別〜ラウンべ入口〜上美里別〜活込)

美里別線には指導標という名前が印象的なバス停がありました。

 

24 帯広本別線(帯広〜止若〜利別〜高島〜勇足〜本別)

1965年段階でも1往復の本別止まりが残っていました。帯広市内で特急や急行より停車バス停が3つ多い、言うなれば区間快速運転を行なっていました。

 

[4]足寄町

足寄町の路線の歴史や詳細はこちらも参照ください。

 

25 茂足寄線(足寄〜新町〜中足寄〜ラワン〜上足寄〜茨城〜伊奈〜茂足寄)

茂足寄まで朝夕2往復、上足寄まで昼1往復。その他に夏季は阿寒湖発着の急行3往復あり。

 

26 上ラワン線(足寄〜新町〜中足寄〜ラワン〜上ラワン)

2往復。ラワン〜上ラワン間は所要25分。上り初便はラワンから茂足寄線と同時刻運行。

 

27 中足寄経由上稲牛線(足寄〜新町〜中足寄〜更生〜上稲牛)

28 平和経由上稲牛線(足寄〜平和〜更生〜上稲牛)

朝夕各1往復ずつ。おそらく足寄の他の路線を運行した後に走らせていたため、上り初便が遅くなり、どういう利用をされていたのかあまり想像がつかない路線。

 

29 帯広足寄線(帯広〜止若〜利別〜高島〜勇足〜本別〜仙美里〜足寄)

季節運行1往復を含む5往復。こちらも帯広本別線同様、帯広市内で特急や急行より停車バス停が3つ多い、言うなれば区間快速運転を行なっていました。市内停車バス停は帯広駅前、大通8丁目、大通6丁目、東3条、東5条、東8条、東10条、市立病院入口(以東各駅)

 

30 雌阿寒温泉線(雌阿寒温泉〜登山口・阿寒湖畔)

雌阿寒温泉発初便と最終の雌阿寒温泉行きのみ阿寒湖畔から直通運転で、あとの9往復は登山口で折り返していました。

 

31 阿寒湖特急まりも号(帯広駅前〜大通8〜東5条〜本別〜足寄〜登山口〜展望台〜阿寒湖畔)

下りは第一と第三まりも、上りは第四(始発なのに第四)と第一まりもが特急でした。

 

32 阿寒湖急行まりも号(帯広駅前〜大通8〜大通6〜東5条〜東10条〜札内〜止若〜利別〜青山〜高島〜勇足〜キロロ〜本別〜仙美里〜足寄〜中足寄〜ラワン〜上足寄〜茂足寄〜登山口〜展望台〜礦業所〜阿寒湖畔)

下りは第二と第四まりも、上りは第二と第三まりもが急行でした。特急に比べて旅行者があまり利用しないであろう停車バス停もあります。阿寒湖速達と帯広から利別以北速達も兼ねていたのかもしれません。

 

33 十勝川温泉阿寒湖線ぎんりん号(十勝川温泉〜利別〜阿寒湖畔)

阿寒湖への5往復中1往復は帯広発着ではなく十勝川温泉発着でした。下りは急行、上りは特急で運行していたので、同じ路線でも上下で停車バス停数が違います。

ぎんりん号に乗ってしまった帯広に行きたい人や十勝川温泉発の時刻を帯広発だと勘違いした人のために、往復ともに利別でぎんりん号と接続する便がありました。至れり尽くせり。

 

[5]陸別町

陸別町の路線の歴史や詳細はこちらも参照ください。

 

34 9号廻りトマム循環線(陸別〜9号〜上トマム〜中トマム陸別

35 中トマム廻りトマム循環線(陸別〜中トマム〜上トマム〜9号〜陸別

いわゆるトマム循環線。3便あり朝が9号先廻り、昼夕が中トマム先廻り。

 

36 上陸別線(陸別〜中陸別〜作集〜上陸別

陸別川沿いを通る路線。1日2往復。ダイヤとしてはトマム循環線の合間で走らせていたようで初便は遅く終便は早く、道東バスの支線では一番日帰りでの駅前市街地滞在可能時間が短く、始発で来ても3時間40分後のバスに乗らないと日帰りできません。

37 勲袮別線(陸別〜勲袮別)

38 小利別線(陸別〜川上〜日宗〜小利別)

小利別線は鉄道並行路線ですが、日宗に駅はないので住人がいるうちは利用もあったでしょう。

 

39 足寄陸別線(陸別〜大誉地〜上利別〜下愛冠〜足寄)

こちらも鉄道並行路線ですが道東バス(十勝バス)の陸別撤退時に大幅に路線を短縮して、下愛冠団地(足寄土現前)〜足寄の路線として生き残ります。

 

以上、39系統でした。1965年時点では既に休廃止になっている路線も出ており、追記する可能性もあります。

失われたバスタッチの遺構を求めて 本編

意外に長くなったこれと
zentokachinoriai.hatenablog.jp

 

 これ

zentokachinoriai.hatenablog.jp

の続きです。やっと本題。

 

2002年6月2日まで使われていた帯広駅前バスタッチ。線路側にあった待合室や道路などは鉄道高架事業や今の帯広駅バスターミナルを造るために取り壊されましたが、ではバスタッチの遺構は何も残っていないのかというと実は残っています。

それは8つあった乗り場の上屋です。残念ながらどれがどの乗り場か全て特定できてはいないのですが、どれも元バスタッチの遺構なのは確かです。1つずつ見ていきましょう。

 

まずはフロンティア通こと国道241号帯広北バイパス沿いにある拓殖バスの国立帯広病院前バス停。

www.google.co.jp

 

f:id:Zentokachinoriai:20200628170555j:plainf:id:Zentokachinoriai:20200628170642j:plain

歩道側にうっすら旭川行きと読めそうな文字が見えるので、もしかしたら7番乗り場から移設したのかもしれません。

 

次は十勝バス協会病院前バス停。こちらは両方向とも元バスタッチの上屋です。

www.google.co.jp

東行きは何の情報も読み取れませんでしたが、

f:id:Zentokachinoriai:20200628170750j:plain

西行きの車道側には文字が残ってます。

f:id:Zentokachinoriai:20200628170822j:plain

車が途切れなくて車道側から写真が撮れなかったのですが、そこは文明の発達した21世期なので何の躊躇もなく便利なもののお世話になります。GSV様々です!

 

www.google.co.jp

f:id:Zentokachinoriai:20200915015006j:plain

拡大すると釧路ゆきすずらん号の文字が見えるでしょうか?左端にものすごくうっすら見えるのはおそらく二階建ての文字なのでグリュック王国行きの案内でしょう。なので協会病院前の西行きは3番乗り場から移設したのではないかと考えられます。

 

続いて十勝・拓殖両社の西3条9丁目バス停。かつては西側(旧イトーヨーカドー側)のみ上屋が二つありました。

goo.gl


f:id:Zentokachinoriai:20200628190958j:plain

 

十勝バスの方は今でも残る一方情報が分かりませんが、拓殖バスの方ははっきり出所が分かりました。なぜ過去形かというと拓殖バスの上屋は撤去され今はもうありません。

 このツイートの貴重な画像から北行き南側の拓殖バスのバス停は元5番乗り場の上屋だとはっきり分かります。

 

 更に続いて、十勝バス拓殖バス両社が停まる西2条1丁目バス停。

www.google.co.jp

f:id:Zentokachinoriai:20200914232050j:plain

歩道側は特徴がないですが車道側は

f:id:Zentokachinoriai:20200628171122j:plain

左上の柱の間にうっすら高速ポテの文字が見えるでしょうか?真ん中の柱から右はトライナーと読めなくもありません。なのでここは元6番乗り場の上屋と言えそうです。

 

続いて十勝・拓殖両社が停まる西5条13丁目(南行き)

www.google.co.jp

ここも拓殖バスの西3条9丁目と同じく既に撤去されていますが過去のGSVには残っています。

f:id:Zentokachinoriai:20200915013553j:plain

 

最後に十勝・拓殖両社の停まる第一病院前(南行き)

www.google.co.jp

f:id:Zentokachinoriai:20200628171235j:plain

ここは他と違い車道側から見やすく更新されてますね。バスの運転手さんと乗客の双方にとって良いことですが、こうなると何の手掛かりも得られません。

 

まとめるとバスタッチに8つあったバス停の上屋は全て移設され、移設先は

(1)国立帯広病院

(2)協会病院前(東行き)

(3)協会病院前(西行き)

(4)西3条9丁目(十勝バス)

(5)西3条9丁目(拓殖バス)※撤去済

(6)西2条1丁目

(7)西5条13丁目(南行き)※撤去済

(8)第一病院前

バスタッチ時代の乗り場が分かっているのは

(1)国立帯広病院前=7番乗り場

(3)協会病院前(西行き)=3番乗り場

(5)西3条9丁目(拓殖バス)=5番乗り場 ※撤去済

(6)西2条1丁目=6番乗り場

 

となりそうです。

失われた帯広駅前バスタッチの遺構を求めて 序章その2

zentokachinoriai.hatenablog.jp

前回の続きです。

 

1998年8月のバスタッチ乗り場は以下の通りで、1993年から変わった箇所は赤字です。新規に芽室南線が乗り入れ開始しています。

 

1番 札内・幕別方面各線(開業当時に戻る)、愛の国線

2番 新町線着→芽室・新得線発、芽室・新得線着→新町線発

3番 大正経由広尾方面各線

4番 大谷高経由営業所行き(音更方面各線着)

5番 拓殖バス木野方面音更各線、一中線、北親通線

6番 市役所・西5条経由営業所行き(広尾方面各線着)

7番 十勝バス木野経由音更方面各線(国鉄代替バス含む)戸蔦線

8番 白樺通方面行き(札内方面各線着と芽室南線

 

 1999年1月18日からJRバスの路線を十勝・拓殖バス両社が引き継ぎ、バスタッチに乗り入れる路線は更に増えます。拓殖バスの中鈴蘭線と南商線は移行直後は駅前広場の元JRバスのバス停を使用していましたが、4月26日に両路線もバスタッチに乗り入れます。

1番 札内・幕別方面各線、愛の国線、東8条線発

2番 十勝バス春駒通・南商方面各線(従来の16丁目経由とJRから移行の各線ともに)、新町線着→芽室・新得線発、芽室・新得線着→新町線発

3番 大正経由広尾方面各線

4番 大谷高経由営業所行き(音更方面各線着)、柏葉高経由営業所行き

5番 拓殖バス木野方面音更各線、一中線

6番 拓殖バス中鈴蘭線・南商線(4月26日から)、十勝バス市役所・西5条経由営業所行き(広尾方面各線着)

7番 十勝バス木野経由音更方面各線(国鉄代替バス含む)、戸蔦線

8番 自衛隊、畜大、大空(グリーンパーク・北高経由)、刑務所、川西中学校、八千代線、白樺通方面行き(札内方面各線着と芽室南線)

 

この改正で十勝バスの市内・近郊線がかなりバスタッチに乗り入れを開始したので、バスタッチに乗り入れない市内線は循環線、南7線経由大空団地線、大空団地発南7線経由柏葉高校行き、日甜住宅線(南7線発駅前・市立病院行き)と路線数としては少数になりました。

また、1999年10月25日のダイヤ改正で拓殖バスの駅前始発の療養所線の一部(3往復)がバスタッチ始発終着になっています。これはくるりん号から変わった療養所経由長崎屋線が廃止になった分の便数を走らせるためではないかと考えています。

 

こうして帯広駅前バスタッチは2002年6月2日まで使われ、翌3日からは現在の帯広駅バスターミナルを造る工事のため閉鎖されます。次は今でも残るバスタッチの遺構についてです。