十勝バス1985年(昭和60年)5月ダイヤ改正のこと その3

その2の続きです。85年5月ダイヤの話は今回で最後。まずは旧循環線が走らなくなった国道方面のその後から。前々回と同じく玄武住宅を定点に見ます。

 

駅前まで行くには遠回りな市立病院経由循環線東廻りや東4条経由は除いた西5条、3条、2条経由の駅前以遠行きが84年5月ダイヤで朝7時台8便、8時台12便でしたが本改正では7時台7便、8時台8便となりました。と書くと減便で不便になったような印象ですが84年5月ダイヤだと毎時45分の芽室発西2条経由、46分の循環線西廻り西3条経由、同じく46分の川西方面行き西5条経由、47分の西2条経由大空団地行きなど近い時間帯に続々バスが来る状態だったのが改善されています。30分間隔の循環線東・西廻り両系統で各時間4便減っているはずですが減っているように感じないのは実は芽室線が30分間隔から新得線を合わせた20分間隔に増便されたからです。ちなみに旧循環線が走った営業所〜魚菜市場〜玄武住宅〜西3条通〜駅前は33系統として西3条線が駅前行き2便、営業所行き3便残されました。復路営業所行きの経路は旧循環線西廻りと変わらず往路駅前行きの経路が西3条6〜西3条9〜駅前2番のりばから西3条6〜郵便局前〜かじのビル前終点に変わってます。33系統は元々清水経由鹿追線の系統番号でした。以下、本改正後の玄武住宅発駅前行きの路線図と時刻表です。

 

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(注)赤字は日曜祭日運休。路線名の芽室(東5)は芽室市街東5条経由。(南9)刑務所は南町9線経由。(7北)大空は南7線・畜大北門経由大空団地行き

 

最後にこの改正の要点を振り返ります。

 

【1】循環線の営業所〜帯広駅が国道から白樺通経由に経路変更

【1.1】代わりに営業所〜市立病院は75系統稲田橋線の一部として運行

(注)84年5月ダイヤで75系統は日甜住宅線でした。営業所〜柏葉高〜大通9〜駅前〜四中〜西8条27〜西8条29〜(南7線道路)〜西11条30〜南7線〜仙樹園〜日甜住宅前〜稲田橋(南8線沿い)〜西10条33〜西10条30〜西8条29〜四中〜駅前〜営業所という片循環路線でした。日甜住宅線から稲田橋線になったのは84年の冬ダイヤと思われます。稲田橋線の経路は営業所〜玄武住宅〜柏葉高〜市立病院・市立病院〜柏葉高〜西2条1〜富士銀(往路)〜四中〜南8線〜稲田橋(今の南コミセン前)〜西8条29〜四中〜十勝バス前〜西2条1〜柏葉高〜市立病院・市立病院〜柏葉高〜玄武住宅〜営業所です。わずか3年半で十勝バス前から市立病院へ行く便が富士銀前に移動と書いたものが一部の便とはいえまた十勝バス前に戻ってきてしまいました。しかし西2条1丁目を通るので十勝バス前から出るのが正しいですし利用者にとっては悪くない結果かもしれません。駅前〜西2条〜柏葉高〜東校〜市立病院が復活とは以前の33系統中央線東校経由の再来です。当時の十勝バスファンは喜んだのでしょうか?

【1.2】同じく代わりに営業所〜駅前には33系統西3条線が運行

先述のとおりなので略。

 

【2】東4条(柏葉高)経由便72〜74、76、78〜79系統が9丁目経由から11丁目(協会病院)経由に経路変更

1985年春、帯広郵便局、藤丸百貨店と大洋電気の間の8丁目線道路の大通〜西3条間の西向き一方通行が解除され対面通行になりました。従ってこの改正から8丁目線南側にのみあった郵便局前バス停は道路の北側にも置かれ東西両方向行きが通ります。郵便局前を通る系統は31系統芽室南線(復路のみ北側)、33系統西3条線(復路のみ北側)、72〜74、76、78〜79系統(往路南側、復路北側)となります。

 

【3】白樺通大改造

これは前回書いた通りです。柏林台団地や西帯広、共愛、14号団地や三条高、白樺高の輸送改善がこの改正の主目的その2でしょう。

 

【4】近郊線と郊外線でパターンダイヤを確立

先にチラッと書きましたが帯広〜芽室・幕別で実施しました。それまでは近郊線のみでパターンを組んで芽室・幕別以遠の郊外線はパターンの合間に入れてましたがこの改正では郊外線もパターンの仲間入りです。ちなみに芽室線はそれまでの30分間隔プラス合間の郊外線から新得線9往復も入れて綺麗に20分間隔に増便です。一方の幕別線はそれまで30分間隔プラス合間の郊外線が郊外線も含めての30分間隔に減便です。この改正でパターンに当てはまらない合間の郊外線は糠内線と大津線のみですが、21系統あかしや団地線が札内7号まで30分間隔で存在していたことを考えると7号までは増便8号からはやや減便と言えるでしょう。

 

【5】急行全滅!

新得線全便と浦幌線の一部の便で設定されていた急行が廃止されました。かつては糠平線にも急行がありましたがついに全滅です。この改正時に残った種別は特急があります。空港連絡バスと阿寒湖線です。

 

【6】川西中学校線が広尾線グループから稲田線グループに(60系統から79系統へ)

同じ川西農協・中学校方面の路線でも廃止まで四中〜日甜住宅〜農高〜畜大の経路は安定していた八千代線とは違い、大通〜川西1号〜農高〜畜大〜川西中や西5条〜四中〜日甜住宅〜農高〜畜大〜川西中、更に大通〜川西1号〜川西(国道)〜川西中と同時期に3経路あったりと日高おろしに舞い上がる十勝の火山灰土のごとく、時代から求められるがままに身を変えてきたジプシー川中線。81年5月改正で60系統という広尾方面エースナンバーを得たのもつかの間。この改正でまさかの稲田方面系統に異動です。60系統時代は駅前から大通〜川西1号〜農高〜畜大〜川西中でしたが79系統になってからは西5条〜四中〜南8線〜日甜住宅〜農高〜畜大〜川西中となりました。しかし、ジプシー川中線は伊達ではありません。早くも2年後にはニチイ前〜四中間でグリーンパーク入込を命ぜられます。また稲田線グループになるということはつまり川西中学校行きは経路的にバスターミナルを経由しないということになりますのでバスターミナルで川西中学校行きを見ることができたのは1985年4月30日までとなります。

 

以上が1985年5月の改正です。経路のことなど分かりにくいところはそのうち略図を追加するかもしれません。この改正が81年11月改正と合わせて今も十勝バスの路線やダイヤの考え方とそう変わってなく今の十勝バスを理解する基本となるでしょう。