帯広市交通センター内バスターミナルのこと

西3条南9丁目の旧イトーヨーカドー帯広店西隣にあったバスターミナルの話を書こうと思ってさて正式名称はなんだったかと考えましたが思い出せず。市中央バスターミナル?市営中央バスターミナル?どちらにせよ札幌のバス会社のターミナルみたいな名前でした。バスターミナルと駐車場を併せて帯広市交通センターなのは分かるのですがバスターミナル単体をどっちで呼んでいたかいきなり不明です。単純にバスターミナルで通じていたのが今となっては仇となっています。

ちなみに今北海道銀行帯広支店が入っている建物は帯広市経済センターです。一階がバスターミナルでその上層が立体駐車場の交通センター+経済センター+帯広初上陸の近代的スーパーマーケットのイトーヨーカドー。1970年代の日本が夢見た近未来的建築物三棟が道東に登場します。建物は三棟ですが交通センターとイトーヨーカドーの建物は一体的に設計されてたので実質的には二棟です。隣のイトーヨーカドーは1975年4月26日に開業しますがバスターミナル部分は諸事情があって同日開業とはならず。詳しくは十勝バス70年史かウィキペディアに載ってるので興味がある方はそちらをご参照ください。ここではそんなゴタゴタはともかく、他の部分と違いやけに短命に終わったなかで実際はどのように使われていたかそんなお話をします。

 

まずはどのような考えであの場所に決まりどのような考えで造られたか。それまでにも議論はあったのでしょうが1959年(昭和34年)に初めて作られた帯広市総合計画の都市交通の段に十勝鉄道帯広大通駅移設と並んでバスターミナル建設のことも「主要幹線道路に面し、比較的駅および中心市街地にちかく、かつ市民交通に利便な地点にバス・ターミナルを設置する。」(原文ママ)と出てきます。また、施設配置計画の段に「裁判所移転跡地(約3分の1)を候補地とする。」や資金需要の事業費の段にはバスターミナル分で7400万円(市1100万円、民間6300万円)とこの時既に具体的な話として掲載されています。

 一方、1970年に北海道大学交通計画研究室と関わりの深い北海道交通研究会が出した帯広市道路交通体系総合調査報告書によると「現在、帯広市において市内、近郊、郊外、観光線(ここでいう観光とは貸切ではなく阿寒湖や然別湖襟裳岬行きのこと)の始発、終着はほとんど駅前で行われている。そのため駅前通りの一般自動車の流れはバスの発着のために阻害され、バスもまた一般の自動車の割り込み等により、被害を受けている。」とあります。その解決法として市内、近郊線は「都心部におけるバスの始発、終着を避け、都心部においては通過交通として処理する。」および郊外、観光線は「バスターミナルを新設して駅前始発終着を避ける」よう提言をしています。場所については駅・都心(デパート)に近い地裁跡地を適地とも言っています。

 

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この二つの表からの計算や郊外線の同時刻発の多さ(最大は9時・12時30分・16時発の6台)から北海道交通研究会はバスターミナルでの必要バース数を郊外11、観光1の12バースと提言しています。しかしこの報告書が出た直後民営3社のうち十勝バスと道東バスの合併交渉が始まります。そして実際に完成したバスターミナルは以下のようになりました。

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図の上が北(十勝川、国道38号線方面)下が南(根室本線方面)です。図の右端の灰色部が西3条通、下端の灰色が白樺通(9丁目線)、従って上端の灰色は8丁目線になります。略図なのでイトーヨーカドー部分や経済センター部分は大胆に省いています。

緑色の箇所はターミナル内外ともにバス乗り場(数字はバスターミナル乗り場番号)、青色は公共的施設、橙色は旅客に関する施設(矢印はメインの動線)です。

 車路は左右両レーンとも北から南への一方通行。歩道からターミナルに入ると二階より上にある駐車場に行くための階段が角にあります。階段を過ぎると待合室1(1は分かりやすくこちらで付けた番号です)があり待合室2(2も分かりやすくこちらで付けた番号です)より広さはありますが売店の類はなくイトーヨーカドー店内と直接行き来はできないため待合室2と比べ利用者は少なかったです。

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(4番乗り場付近から待合室1を見る。左側のドアが駐車場への階段)

イトーヨーカドー店内と行き来ができたのは2番乗り場と3番乗り場の間にある通路でこの通路沿いに発券窓口と窓口利用者のための待合室2への入口がありました。待合室2は前述の通りバスを待つ人の利用が多かったです。発券窓口や待合室2からバス乗り場の歩道へ直接移動できずあくまでこの通路を通らないと乗り場へは行けないよう壁で分離されてました。

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(左のシャッターが発券窓口やイトーヨーカドー店内への通路。右のシャッターは待合室2からバス乗り場が見られる窓)

 

2番乗り場と1番乗り場の間に駐車場へのエレベーターがありイトーヨーカドー南側の飲食店街や経済センタービルへ行く屋外通路もあったためここだけは陽の光が入って明るかったです。また、この三つの建物に挟まれた場所に自転車置き場がありました。

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(エレベーター昇降口はバスターミナルが廃止になっても現役でした)

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 (バスターミナルから経済センターへと繋がる屋外通路)

ターミナル内1番乗り場は国鉄バス用。1日数便の岩内仙境、中仙境行きのみが使用していました。路線の経路として国鉄バスが一番バスターミナルを使いにくかったでしょうが北伏古線や日勝高原線が使用しなかったのは意外です。

2番乗り場は拓殖バス用。万年(高倉)、矢部、東瓜幕、鹿追、新得、(鹿追)自衛隊、瓜幕、然別湖、上士幌、足寄行きと十勝バスに負けず劣らず多彩な行き先のバスが来ました。初期は帯広駅〜ターミナル〜西2条9という経路でしたが後にバスターミナル始発終着になり、5番乗り場の右寄り(ターミナル内最西南端)で車両を留置きしたりもしていました。駅前の乗り場が少なかったのもあるでしょうが3社では一番ターミナルの理念通りに路線を組み有効活用していたかもしれません。

3〜4番乗り場は十勝バス用。乗り場が二つも充てがわれたわりに乗り入れ当初は川西以遠広尾方面各線全便と八千代、足寄線のみで上士幌、糠平両線は他の路線よりやや遅れて乗り入れを始めました。新得幕別、池田、茂岩、大津、浦幌など郊外線は多くてもバスターミナルが廃止されるまで積極的に入ろうとはしませんでした。十勝バスは駅前に乗り場が多かったのでこのターミナルに拓殖バスほどこだわりはなかったかもしれません。元は道東バスのために4番乗り場が用意されていたのかもしれませんがターミナルが完成した時には道東バスという会社は存在しませんでした。

 

さて、こうなると5〜8番乗り場は何のためにあったんだろうと思う方もいるでしょうが5〜8番は降車専用でした。十勝バスでは復路のみ大空団地線と日甜住宅線が降車のために乗り入れていました。それだけガラ空きだったなら各社の近郊線も入線する余裕はいくらでもあったのですが最後まで実現されることはありませんでした。