停名地名不一致の謎 第2回 十勝協和

(公開後によく考えたら第1回は西似平だなと思ったのでこちらは第2回目とさせていただきます)

東京駅の本屋でそんなような鉄道&地理ネタの本の表紙を見かけて買ってないけどネタとして面白いかと思い乗っかってみようかと。一回ポッキリかシリーズになるか全く分からない思いつきを始めてみます。

 

さて、そんな第2回目はこのブログでもよく取り上げている路線の一つ、十勝バス広尾線の十勝協和バス停です。散々書いてきてますが旧広尾道路=広尾街道と現在の国道236号線の交点にある十勝協和。堀淳一さんの著書『北海道 鉄道跡を紀行する』で広尾線跡を訪ねた時に忠類坂からの展望に見とれバスの時刻を失念し慌てて走ったバス停と思われる十勝協和です。住所としては更別村字弘和になります。

 

更別村字弘和。協和じゃないですね。どうして字名とバス停名に違いがあるのでしょう?

 

かつてこの十勝協和バス停付近の土地を所有していたのは今のニッタ株式会社に当たる新田帯革製作所(文書によっては新田帯広製革所とも)でした。十勝の鉄道に詳しい筋の方だと馬車鉄道で有名でしょう。勢雄から協和までの更別村北縁地域は元々幕別村で大正村を経て更別村になり今に至ります。更別村史でも幕別町史、幕別町百年史でも幸いに字名変更に関してある程度詳しく書かれているので探しやすいのですが字弘和が更別村に編入された時には既に幕別村(当時)で字名変更が行われてましたので字弘和に関しては幕別町側から探してみます。1944年に字名変更を行うまで勢雄も協和も最初は幕別村の字イタラタラキでした。字イタラタラキが後に字奥糠内となり字勢雄と字弘和に分かれます。今の更別村と同じく字弘和です。では協和とは?

 

zentokachinoriai.hatenablog.jp

の回にも書きましたが地名が残りやすい世界三大物件は駅、学校、郵便局です。駅は上更別にしかなく(そしてこの駅=鉄道の存在が幕別村から大正村への編入運動のきっかけになります)郵便局も同じく。残るは学校のみとなります。

この付近にかつてあった学校は二校。十勝協和のバス停から近い順に上協和小学校と弘成小学校です。上協和は十勝協和の由来っぽく見えますし弘成は弘和にちょっと近い感じですね。幕別町百年史によると弘成小学校は字名変更と同じく1944年に弘和小学校に名前が変わっています。では弘和とは?

 

ここまでくると勘の良い方ならお分かりでしょうが弘和という字名は弘成と協和から一字ずつ取った合成地名です。東京都の大森区蒲田区大田区になったのと同じ理屈です。幕別町百年史にはズバリ「従来ノ弘成、協和ヲ合シ一字トナス二字ノ名ヲ取リ合セタルモノナリ」とあります。この時一字を取るのに逆を取って協成とする案もあったそうですが弘和のほうが元の地域名により近いから選ばれたのではと推測します。

 

残念ながら和歌山からの移住者が多かったのかなど協和という地域名自体の由来は不明なのですが、協和という名前は神社や協和区という行政区の一つとして今でも更別村に残っています。今では少なくなってしまった十勝が付くバス停名の一つである十勝協和。バス路線とともにいつまでも残ってほしいものです。