帯広のズレを楽しむ会 第2回


zentokachinoriai.hatenablog.jp

 

の続きです。前回は東部と西部にあるズレでしたので今回は南部にあるズレをご紹介します。

帯広駅バスターミナルから十勝バスの70系統で市内南部の大空団地へと向かう路線バスに乗ると四中前から四中グラウンドと西七条簡易郵便局の間の26丁目道路を西へ進みます。西10条27丁目のバス停を過ぎると法広寺(ほうこうじ)の前までちょっと北側に遠回りしてから公園東通を南へ進みます。(下地図参照)

なお、正式には法廣寺ですがバス停としては法広寺(現在は動物園前)だったので以下このブログでは法広寺と書かせていただきます。

 

 

 

真っ直ぐ26丁目道路を作れば良かったのにと思うところですがなぜ北側の道路を通るのでしょう?実はこのちょっと北側の道路は殖民地区画の南6線道路です。1931年の帯広の市街地地図を見ると今の四中がある十勝鉄道の線路東側では住宅のための区画割が行われていますが法広寺付近の線路西側はまだ手付かずで26丁目道路と南6線道路が一つの真っ直ぐな道路のように描かれています。その2年後の1933年の地図では十勝鉄道西側が向陽台分譲地と名付けられ現在のバス路線と同じく遠回りする道路がメインルートのように描かれています。なぜこの26丁目道路と南6線道路は前回の南2線から南4線のように滑らかにズレを調整せずシケイン状にガクッと急激にズレを合わせるような道路になったのでしょう?

一つ目の理由として地形があげられます。法広寺の辺りの標高は55m、法広寺から200mほど西にあるおびひろ動物園の標高は66mとこの付近で段丘のようになっています。法広寺から200mほど南側を走る道道151号幕別帯広芽室線線は比較的最近できた道路ですがこちらは段丘を掘割状のトンネルでやり過ごします。掘割状の公南弥生トンネルは帯広市唯一のトンネルとも言われおり路線バスでは十勝バスの73系統や79系統でトンネル内を通過できます。地形的に西4号より西側で緩やかにズレを調整するには掘割を作らなければ難しいでしょう。西4号より東なら緩やかに調整できたでしょうが市街地区画にこだわっていたのか西10条までは26丁目道路を真っ直ぐ作ってしまい西10条から西12条の短い間で道路を斜めにして調整してしまうと区画に無駄が多く生じてしまい出来なかったのだと思います。

地形以外に理由はあるか?と言いますともう一つ大きな理由があります。それはこの法広寺の南西側西4号(公園東通)以西南6線以南がかつて帯広市ではなく川西村だったからです。帯広市としては南26丁目道路として西進する道路と川西村としては南6線道路として段丘を下りながら東進する道路。南26丁目道路と南6線道路を直通するような交通が主流でなかったこともあり滑らかさが重要視されることもなく今の道路の線形が残ったと言えるでしょう。

 

現在のバス路線は法広寺から西4号(公園東通)を南へ走る70系統大空団地線がメインですが、大空団地ができる前は法広寺からそのまま坂を西へと登り(旧)動物園〜東官舎〜別府団地〜稲田〜日甜住宅へと至る東官舎線が走っていました。当時の時刻表の路線図を見ると十勝バスの東官舎線は国鉄バスの通った道道八千代帯広線ではなく一本東の道路を走っていたように見えます。法広寺から動物園、緑ヶ丘墓地の南側を通り今の稲田バス停のある旧稲田消防署(正確には帯広市消防署南出張所)まで今の西14条と西15条の間(かつての南町東1条と南町東2条の間)の道路を通るように推測されます。この道路、今となってはただの住宅街の間の道路ですが昔の地図を見ると道道八千代帯広線の次にはっきりと描かれています。地図ではなく航空写真になりますがこちらをご参照ください。稲田バス停から緑ヶ丘墓地〜動物園〜法広寺西側〜(旧)刑務所〜記念碑(現在の西5条交番前交差点)というルートは道道の抜け道のような存在だったようです。後に十勝バスも国鉄バスと同じ道道経由の路線を開設する時に別府団地のバス停は置かないことが条件となったのか、JR北海道バスの十勝線が廃止されるまで東官舎〜十勝共栄(今の南町中学校入口)の間の道道沿いに十勝バスのバス停は置かれませんでした。

 

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1960年代の帯広市内南部のバス路線図は上のように推定します。黄色は十勝バス。青色は国鉄バスです。動物園から稲田までの区間で十勝バスが道道を通らなかった確証があれば推定ではなく確定と言えますが現段階では推定です。動物園から稲田までの区間以外に間違いはないと思います。路線図では分かりにくいのですが、市内南部を西5条から帯広駅前に向かう路線で記念碑から真っ直ぐ市役所を経由するのは循環線くらいでした。東官舎線はどこを通ったのかというと記念碑から大通16丁目、12丁目、西1条9丁目を通り帯広駅前に向かいました。駅南区画整理や高架駅完成後の今となっては記念碑前から大通16丁目を経由するのを不思議に思う方が多いでしょうが畜大線や八千代線は81.11改正までこの駅前〜大通16〜記念碑という経路で走っていました。

西1条9丁目のバス停も世代によって思い出す店が色々違って面白そうです。今となってはますやパンの向かいですがインデアンカレーの隣であったり帯広劇場の前であったり。記録に残りにくい路線バスだからこそバスファンはしっかりと記録していきたいものです。