夏季多客期は観光路線と増便の季節 その1

本当は7月20日くらいまでに書いておきたかった記事ですが季節は夏休みで観光シーズンですね。ということで今分かる範囲で夏の間に出ていた都市間バスを除く臨時便にどんな路線があったかを振り返ってみましょう。夏季増発は7月20日頃から8月19日頃までという北海道の夏休みに合わせたものが多かったですが、なかには6月1日から10月31日までや4月27日から11月3日までの運行というものもありました。

 

夏季多客期に増便増発路線延長のあった路線一覧(四角のバス停は国鉄駅接続、黄色は十勝バス、赤色は拓殖バス、朱色破線は道東バス、青色は国鉄バス)

f:id:Zentokachinoriai:20180810213819j:plain

 

【1】阿寒湖系統

(1)十勝川温泉〜帯広駅〜上士幌〜阿寒湖(十勝バス)

 池北三町の回で書いたとおり十勝バスの帯広駅〜阿寒湖直通運行は1954年7月1日から始まりました。1959年夏の帯広駅前発阿寒湖行きの初便は道東バスの利別・本別経由阿寒湖行きより5分遅い6時20分発でしたが翌1960年には両社とも6時15分発になったようです。

また国鉄監修東北海道観光の旅時刻表に掲載されてる時刻を見ると1960年から十勝バスの阿寒湖行きは4往復中2往復が十勝川温泉まで直通運行を始めたようです。1961年の東北海道観光の旅時刻表では十勝バスの阿寒湖線は2往復に半減していますが帯広発朝・阿寒湖発午後の便にあかん号、帯広発午後・阿寒湖発午前の便にへいげん号、上士幌経由の阿寒湖線自体には大平原コースという愛称が付きました。

1962年には十勝バスの糠平〜阿寒湖直通運行が始まり、この糠平直通便には特急ぬかびら号という愛称が付きます。前年から始まったあかん号やへいげん号も同じく特急となり帯広発着特急が2往復、糠平発着特急が1往復となります。この特急ぬかびら号でも帯広との行き来ができるよう当時の上士幌営業所(今の上士幌バス停)で接続する糠平急行が運行され始めてもいます。

1965年の東北海道観光の旅時刻表では特急ぬかびらに接続していた糠平急行が特急へいげん号となり、それまで特急へいげん号が担当していた帯広発午前・阿寒湖発午後便の愛称が特急とかち号に、帯広発午後・阿寒湖発午前の便が特急あかん号に変わりました。

1968年には特急へいげん号は再び愛称無しの急行に格下げになったようですが十勝川温泉〜糠平温泉の急行は2往復運行されています。この年までに足寄駅や登山口にも停車するようになり、阿寒湖行き特急あかん号は始発が十勝川温泉から帯広駅前に変わっています。(とかち号は十勝川温泉始発のまま)

 

(2)帯広駅〜(十勝川温泉)〜利別〜足寄〜登山口〜阿寒湖(道東バス)

十勝バスの阿寒湖直通便より一月先に始まった道東バスの阿寒湖直通運行は帯広駅から利別を経由する元々の自社路線に沿った形で始まります。1959年には阿寒湖行き3便、帯広行き4便が運行しており、1960年には帯広発2便目と阿寒湖発午後1便目で十勝川温泉経由の運行も始めたようです。

十勝バスに遅れること一年、1962年には道東バスの阿寒湖線にも愛称が付くようになりました。帯広発と阿寒湖発どちらも出発時刻の早い順に第1・第2・第3まりもとなりコース名は大草原コース、帯広発十勝川温泉経由1便は急行銀鱗号となりコース名は銀鱗コースと名付けられました。

1965年の東北海道観光の旅時刻表に道東バスの阿寒湖線としては初めて種別の記載が出てきます。下り阿寒湖行きは特急第1まりも、(十勝川温泉経由)急行銀鱗号、急行第2まりも、特急第3まりも、急行第4まりもの順。上り帯広行きは特急第4まりも、特急第1まりも、特急銀鱗号、急行第2まりも、急行第3まりもの順でした。特急と急行の違いは今となっては知ることは難しいのですが、所要時間は帯広足寄間で特急は最速92分急行100分、足寄登山口間で特急59分急行61分、登山口阿寒湖間で特急29分急行30分と比べてみると確かに特急のほうがわずかに早くなっています。

1968年には下り特急第3まりもと上り特急第1まりもが年間通しの運行になりました。

 

(3)阿寒湖〜登山口〜雌阿寒温泉オンネトー(道東バス・十勝バス・阿寒バス)

1959年には阿寒湖〜雌阿寒温泉を1日2往復、1960年には登山口〜雌阿寒温泉を一日4〜5往復の観光路線として運行しますが、1965年には一日11往復に便数が増えオンネトー発初便と登山口発終便の2便は阿寒湖まで延長運転を始めます。

1978年の時刻表では阿寒湖〜登山口〜オンネトーや登山口〜オンネトーといった基本系統から登山口〜雌阿寒温泉雌阿寒温泉オンネトー雌阿寒温泉〜登山口という乗務員の昼食中断などの都合が垣間見れる系統、足寄駅〜茂足寄〜登山口〜雌阿寒温泉オンネトー〜登山口〜茂足寄〜足寄駅という乗務員の送り込みが推測される系統もあり更には登山口で帯広〜阿寒湖線と接続を取るという短いながらも時刻表を見ているだけで楽しくなる路線です。この年は登山口〜雌阿寒温泉区間で12往復でうち8往復が阿寒湖発着、十勝バス最終年の1984年はオンネトー行き(最終便のみ雌阿寒温泉行き)が5便、登山口方面行きが6便、そのうち阿寒湖発着は3往復で最終便以外は6月から9月末まで、最終便のみ7月から9月末までの運行でした。

1985年からの阿寒湖〜オンネトーの路線バスは阿寒バスが4往復運行することになりました。最初の1985年は阿寒湖発オンネトー行きの始発が9時50分と各地からの到着便と接続を取る時刻でしたが、それだと雌阿寒温泉ユースホステル宿泊客の行動開始が遅くなってしまうからなのか翌年にはかつての十勝バスと同じような8時前発になりました。時刻はその年によって微調整されていますが1998年には阿寒湖発6時50分という阿寒湖に拠点がある阿寒バスならではの時刻で運行されました。

 

(4)然別湖糠平温泉〜上士幌〜阿寒湖(拓殖バス・十勝バス・道東バス)

先述の通り1962年には十勝バスの糠平〜阿寒湖直通運行が始まり、この糠平直通便には特急ぬかびら号という愛称が付きます。そしてこの1962年には糠平〜山田温泉間の幌鹿峠を越えるルートの道道の工事が始まり、1967年には然別湖〜山田温泉〜幌鹿峠〜糠平温泉という山の間の観光道路が開通し夏季は大型バスの運行も可能になります。幌鹿峠の西側の然別湖や山田温泉は既に拓殖バスの路線網であり幌鹿峠の東側の糠平は阿寒湖や帯広への路線がある十勝バスのエリアで足寄から先の阿寒湖までの間に一大路線網を持っている道東バスも当然路線の免許を申請する権利があります。

 ここでちょっとややこしくなるのが上士幌から足寄の間は拓殖バスの路線が最初にあり十勝バスの阿寒系統は後から出来たというところで、拓殖バスとしても権利が認められず十勝バスに免許が認可されてしまうと上士幌・糠平経由で帯広と然別湖の間を結ばれる可能性があり自社の既存路線が危うくなるというところです。

ここ幌鹿峠越えの路線の免許申請は1963年12月19日拓殖バスの然別湖〜阿寒湖133.9kmに始まります。続いて翌1964年2月5日十勝バスの山田温泉〜阿寒湖135.0km、二日後の1964年2月7日道東バスの山田温泉〜阿寒湖141.4kmと役者が揃います。(キロ数は十勝バス70年史58pより)十勝バスや道東バスが然別湖ではなく山田温泉までの路線で申請したのがちょっと面白いところで理由が気になるところです。正確な理由は分からないですが拓殖バスの方が先に申請してるので拓殖バスを刺激したくなかったという理由は考えにくく、然別湖畔で車両を停める場所が確保できる見込みがなかったとか然別湖から山田温泉までの間の道路の幅員が狭く見通しも悪いので山田温泉までにしたのではないかと考えられます。

幌鹿峠関連では十勝バスが同じ1964年2月5日に十勝川温泉〜山田温泉という路線も申請しています。これに対し拓殖バスは同年8月2日にキロ数は違いますが同じ十勝川温泉〜山田温泉という路線を申請し、更に道東バスも同年12月12日に帯広駅〜山田温泉という路線を申請するという加熱具合です。

道道の開通から2年経った1969年6月、ついに裁定は下ります。結果は然別湖〜阿寒湖は十勝バスと道東バスで2往復ずつ、然別湖糠平駅のローカル輸送は拓殖バスに5往復というものです。十勝川温泉あるいは帯広駅〜糠平〜山田温泉という路線に関しての記述は十勝バス70年史にはありませんが三社いずれにも認められなかったようです。

ということで然別湖〜阿寒湖の路線は十勝・道東の二社で運行したはずなのですが十勝地方では民営バス三社の経営統合が話し合われ始める時期でもあり、実際1971年には十勝バスと道東バスは合併するような時期でもあり道東バスの然別湖〜阿寒湖線に関する資料は他の道東バスの路線に比べても格段に少なくなっています。

 

 一旦ここまで。続きは然別湖から西側と太平洋側の夏路線についてを予定しています。