停名地名不一致の謎 第4回 雄飛が丘と銀翼の沢

十勝地方の鉄道史はそれなりに数がある一方、バス史は少ないよねということで始めたこのブログですが同じく歴史があるわりにほとんど出てこないのが十勝地方の航空史です。

 

帯広周辺でバスが走り始めた頃、帯広士幌間で国鉄士幌線の開業に向けた工事も終盤という頃に十勝地方で飛行機を飛ばそうという人達がいた、と書くとそんな馬鹿なと思われる方もいらっしゃるでしょう。千歳空港もまだ完成していませんし千葉県以北に飛行場は無いとも言われた頃です。

この時十勝の航空史にとって幸運だったのは士幌線の工事で来ていた加藤勘之丞という技師がいたことです。街の青年に懸命に飛行機熱を植え付けるほどの情熱家加藤技師と血気盛んな青年たちの民間飛行場設置活動が始まります。加藤技師は発明家というニックネームを付けられるくらいに音更では有名人だったようですが、残念ながら加藤技師が士幌線工事を行っている間に資金調達に応じてくれる人物は現れず彼は今のニッタクスの新工場建設のため止若(今の幕別市街)に移ります。しかし残った地元有志は音更民間航空設置期成同盟を作り、軍の協力もあったりという時勢柄なのかトントン拍子に1925年5月13日飛行場開きを行います。

 

この前後の話はなかなか興味深いものが多く、興味を持たれた方はぜひ音更町史や飛行場跡巡りをされている方のサイトなども併せてご覧になっていただければと思います。せっかくできたこの(初代)音更飛行場は残念ながら1929年の春には使われなくなってしまいます。

 

kujikobo.com

airfield-search2.blog.so-net.ne.jp

 

さて、このブログの主題であるバスの話に音更の飛行場がどう関係するのか。今の緑陽台小学校の南西から鈴蘭小学校にかけての一帯に1940年市設帯広飛行場が造られます。

 

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この飛行場。陸軍からすると帯広第二飛行場ですが一般には何と呼んでいたでしょうか?最初の音更飛行場は既になく区別する必要がないので新飛行場も音更飛行場。また市設というように元は民間利用を目的として都市の発展のために造られた新飛行場ですので周辺の土地に目をつけた人々は高台の上を「雄飛が丘」、手前の鈴蘭川上流の小沢を「銀翼の沢」と名付け別荘地として宣伝し始めます。言葉としては雄飛が丘に対するなら雌伏の沢でも良かったのにと思いますがそれでは語感が良くなく宣伝にはならないですね。そして雄飛が丘にある飛行場ですので雄飛が丘飛行場という記述も音更町史にあります。しかし今の緑陽台から北鈴蘭にかけての一帯が雄飛が丘というのは当然今の音更本町の高台にある雄飛が丘の位置とは違います。本当にこの辺りが雄飛が丘や銀翼の沢だった証拠はあるのでしょうか? 

戦前の非公式な地名なので何も残ってない可能性もあるかと思いましたが、この地図の真ん中を流れる川の中心付近にある公園が「ぎんよくの沢公園」と言います。平仮名ですが今となっては銀翼の沢の名を残す唯一の施設かもしれません。バス停だと拓殖バスの共栄団地が一番近そうです。この付近でかつての雄飛が丘の痕跡は現地を探索しても見つからない可能性が高そうです。 

 

さて、もう一方の拓殖バスの行き先にもなっている今の雄飛が丘。今の場所に使われるようになった経緯はよく分かりません。あくまで可能性の話と断った上で私の考えを。

音更町の字名改正は意外に遅く1976年から始まります。この時に音更本町(音更大通)の西側の丘の上にできていた住宅街に本町側と比べて細かく地名を付けました。本町側と東西で対比させると、

大通1丁目 対 柏寿台・雄飛が丘北区

大通2・3丁目 対 北陽台・雄飛が丘仲区

大通4〜6丁目 対 桜が丘・桜が丘西・雄飛が丘仲区

大通7〜11丁目・元町 対 雄飛が丘・雄飛が丘南区

大通12〜17丁目 対 住吉台・緑が丘・希望が丘・南住吉台

のようになります。本町側は元町以外大通何丁目で済むのに対し、丘の上は本町側の丁目と同じ丁目を新しい地名に付けたり、または新しい地名に条丁目制を採用することなく一生懸命新しい地名を考えて付けています。この時なるべく新地名は新しく造られる施設にちなんだ地名にしようともしたように感じられ、それは老人ホームがあるから柏寿台や緑ヶ丘病院が来るから緑が丘(ヶの字が病院と変わってますが他との統一性を考えたのでしょう)に表れていると思います。ちなみに十勝バスの音更桜ヶ丘と音更桜ヶ丘西のバス停は実際の地名である桜が丘や桜が丘西と「が」の字が違います。これは単純に違いに気付いてないだけでしょう。

 

では肝心の雄飛が丘はどうなのか?まず雄飛が丘の南隣り、希望が丘の生涯学習センターに(初代)音更飛行場跡地の碑が建っています。希望が丘にはこのほか帯広大谷短大温水プール、運動公園などの文教施設があります。北側の雄飛が丘には音更中学校や総合体育館があり同じく文教施設の一画です。

つまり希望が丘と雄飛が丘は不可能と思えた飛行場設置と飛行機導入を実現し民間航空界の進展に貢献しようとした先人にちなみ、町民や若人に希望と大志を抱いて盛んに活動してほしいという意味を込めたからこそ本来の地域から多少離れてでも初代飛行場のこの地域に二代目飛行場の通称を付けるというハイブリッド思想で希望と雄飛の名を付けたかったのだと考えます。先人の想いや願いが通じたのかどうか、音更町は北海道で一番人口の多い町になりました。