帯広広尾間道路のこと(1)広尾街道

バスが走るには道路がなくてはならない。ということで今回は十勝地方でもいち早く長距離バス路線ができた帯広広尾間の道路について。

(1)広尾街道

下帯広村市街から別奴村トベツ、幸震村幸震、別奴村イタラタラキ、大樹を経て茂寄村(今の広尾町)に至る道路なのですがはっきり分かっている区間は今の旧広尾道路という標識のある帯広市愛国町南9線より以南から道道109号新帯広空港線、道道238号更別村区間を経て国道236号道道238号の交点(十勝協和バス停)までの区間と大樹町の帯広広尾道大樹忠類インター南側の北2線付近から広尾町に至る国道236号と336号の区間です。

分からない最初の区間は下帯広市街からどうやって札内川を渡っていたのかです。十勝大橋や札内橋と違い資料の乏しいなか確証はありませんが、今の帯広市にある大通南橋から札内川に向かって南東に伸びる短い市道からおそらく渡船でまっすぐ対岸へ行き帯広市幕別町の境界上の道路を経て今の愛国町南9線へと繋がっていたのではと考えます。

 

 

小河川があったのなら別ですが札内川東岸の帯広市幕別町の境界がここだけ自然ではないのが気になります。しかし時をこえて十勝の川を旅しよう! |帯広開発建設部 によるとこの付近に3か所ほど渡船があったようなので広尾街道の札内川渡河は1か所であったとは限らないのかもしれません。

次に不明なのが道道238号と国道236号の交差点(十勝協和バス停)から今の大樹町までの区間です。ここも資料がなかなかないので推測ですが交差点をそのまま南下して(長い間更別村と忠類村の境界が定まらなかった付近を通り)旧忠類村の朝日、西当、協徳を通るいわゆる協徳斜線を経て旧国鉄広尾線十勝東和駅(大樹北3線バス停)南側の交差点で今の国道236号に再び合流するではと考えています。現在は道が途切れ途切れなのですが1975〜1976年の航空写真を見ると一直線なこのルートの道路の痕跡がまだ残っているかのように見えます。

しかし忠類村史に(以下斜字体は引用)コースは広尾から大樹までは広尾街道沿いだが、大樹からは忠類の協徳地区を経て更別を抜け止若に達している。この路線は道路ではなかったが、電信柱を立てたところが自然に道となり「電信道路」と呼ばれるようになったという。村内ではいまの協徳斜線がその跡だが広尾街道とほぼ並行して走っていたため(以下略)という記述があり協徳斜線=電信道路と広尾街道は近かったものの別の道路だった可能性もありますが協徳斜線=広尾街道のように描かれている地図もあったりするのでなんとも判断しかねるところです。

 

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画像下部中央モイワ山左側の太い表示の道路が今の国道236号です。地図に駅の表示がないですが線路と交差してすぐ道路が二手に分かれるあたりにあったのが十勝東和駅でそこから進路の変わる太い表示の道路が忠類中学校西を通り忠類駅の東へ出るかつての大樹忠類間のメインルートでした。忠類から駒畠糠内方面へ行く道はありますが忠類坂を経て上更別へ行く道路はまだありません。

一転してここより南は広尾市街まで今の国道とそう変わりがないような感じです。この広尾街道は1898(明治31)年12月に開通したそうですが当時路線バスが走ったことはなく1916(大正5)年に上札内を通った広尾道路が開通すると一気に廃れてしまいます。次回はその広尾道路について書きます。