畜大行きは四度消える 前編

かつて国鉄バス→JRバスと十勝バスとの競合路線であった帯広駅前〜畜大農場前間のバス路線が廃止されることが報道されました。

そもそもこの路線の始まりは一体いつからだったのか、軽めながらも振り返ってみます。

 

帯広畜産大学へ行くバス路線の誕生は、1956年4月に十勝バスに畜大まで免許が交付されたのが始まりのようです。十勝鉄道の川西以南の廃止が1957年8月18日ですので、この頃は鉄道とバスの両方を見られたはずです。

十勝鉄道の川西以南の旅客営業廃止向けて代替バスの運行が問題となります。路線免許は国鉄バスと十勝バスの二社競願となり、戸蔦へは国鉄、八千代へは十勝バスという裁定でした。もし国鉄バスが八千代地区にも進出できていたら、中札内〜十勝清川〜上帯広〜北伏古〜芽室〜御影なんて路線ができていたかもしれません。

 

1956年4月 (十勝)畜大線 免許交付

1957年7月18日(国鉄)東官舎入口〜岩内仙境間開業

1957年7月(十勝)八千代線免許交付(国鉄バスと同時開業か?)

1957年8月18日 十勝鉄道 川西以南廃止

1959年11月15日 十勝鉄道 川西以北旅客営業停止

1962年5月 国鉄バス 岩内仙境〜中仙境間、及び農学校前〜畜大東門間開業(東門は現在の正門)

1964年4月 帯広工業高開校

1965年11月1日 国鉄バス農学校前〜川西中学校前間廃止、及び畜産大学前〜西二線八号〜川西中学校開業。西3線(畜大西側)から西2線(十勝鉄道沿い)へ。(両社駒翠〜川西中学校間経路変更か?)

 

旧川西村の村域は道路整備が他町村と比べて遅れており、十勝鉄道が廃止になってから西2線道路が拡幅されたようです。国鉄バスの畜大までの経路は、帯広駅〜記念碑前〜西十二条〜緑ヶ丘〜東官舎前〜畜大となっています。

ここで、西3線が川西への幹線だった時代に畜大周辺ではどこで折り返していたのかという疑問が出てきます。

1959年 畜大周辺 国土地理院の航空写真を加工

1968年 畜大周辺 国土地理院の航空写真を加工

1959年の航空写真では以前の正門(現在の北門)の西側に転回できそうなスペースが見られます。1968年の航空写真には1958年には存在しない現在でも残っている畜大農場前バス停のある場所に折返場ができています。

1962年5月の国鉄バスの小規模な延伸は何なのかとなりますが、これはおそらく畜大行きが東門で折返していたのではないかと考えられます。運行当初から畜大折返しの区間便が運行されていたかの記録は見つかりませんが、2年後の1964年には帯広工業高校も開校するので特に冬季の通学需要に対応するには畜大までの区間便の設定は必須だったでしょう。

 

1977年5月1日改正時点での十勝バスの畜大周辺路線は以下の7系統がありました。

1977年 畜大周辺(青線 国鉄、黄線 十勝)

A系統(畜大・八千代・西5条経由 豊西19号線)

駅前2番〜大通16丁目〜四中前〜南8線〜日甜住宅前〜工業高校前〜農校〜畜大農場前

B系統(川西中学校・大通経由 豊西19号線)

駅前2番〜大通16丁目〜大通27丁目〜川西1号〜農校〜畜大農場前

C系統(南8線・畜大北門経由 大空団地線)

富士銀前〜市役所前〜四中前〜南8線〜日甜住宅前〜工業高校前〜農校〜畜大北門〜大空団地

D系統(南7線・畜大農場経由 大空団地線)

富士銀前〜市役所前〜四中前〜南7線〜日甜住宅前〜工業高校前〜農校〜畜大農場前〜畜大北門〜大空団地

E系統(南7線・畜大北門経由 大空団地線)

富士銀前〜市役所前〜四中前〜南7線〜日甜住宅前〜工業高校前〜農校〜駒翠〜畜大北門〜大空団地

F系統(大通経由柏葉高校行き、片方向のみ)※帯広駅前入込無し

畜大農場前→農校→日甜住宅前→南8線→四中前→大通16丁目→東3条→柏葉高校前

G系統(市役所経由駅前行き、片方向のみ)

畜大農場前→農校→日甜住宅前→南8線→四中前→市役所前→西3条10丁目

 

1981年 十勝バス帯広営業所が移転し、ラッシュ時の一部を除き全便市役所・柏葉高校前経由して西23条北1丁目まで延長。

1983年 帯広北高が移転し畜大北門経由大空団地線の経路が変更されます。

1983年 畜大周辺(青線は国鉄バス、黄線は十勝バス)

A系統(西5条経由 畜大・八千代線)

富士銀前〜市役所前〜四中前〜南8線〜日甜住宅前〜工業高校前〜農校〜畜大農場前

B系統(大通経由 川西中学校線)

駅前2番〜大通16丁目〜大通27丁目〜川西1号〜農校〜畜大農場前

C系統(グリーンパーク・畜大北門経由 大空団地線)

富士銀前〜市役所前〜グリーンパーク〜四中前〜南8線〜北高前〜農校〜畜大北門〜大空団地

E系統(南7線・畜大北門経由 大空団地線)

富士銀前〜市役所前〜四中前〜南7線〜日甜住宅前〜工業高校前〜農校〜駒翠〜畜大北門〜大空団地

 

一方、国鉄バスからJRバスへの移管に前後して、畜大農場以南の路線は段階的に縮小されています。

1985年2月1日 国鉄バス清川・戸蔦周辺の枝線廃止

1985年5月1日 十勝バス 川西中学校線経路変更(大通から西5条経由へ)、柏葉高校前〜帯広駅前間を9丁目から11丁目経由へ。(駅前〜協会病院前間は国鉄バスと同一経路)

1985年8月10日 国鉄バス戸蔦〜中仙境間廃止

1986年12月11日 国鉄バス畜大農場〜戸蔦間廃止(十勝バスが代替バスを運行)

1986年 畜大周辺(青線 国鉄、黄線 十勝)

十勝バスの畜大周辺路線は1985年5月改正での川西中学校線の経路変更後、以下の4系統となります。

A系統(西5条経由 畜大・八千代線)

富士銀前〜市役所前〜四中前〜南8線〜日甜住宅前〜工業高校前〜農校〜畜大農場前

B系統(西5条・北高経由 川西中学校線)※グリーンパーク入込無し→1987年8月から入込開始=駒翠までC系統と同一化

富士銀前〜市役所前〜四中前〜南8線〜北高前〜農校〜畜大農場前

C系統(グリーンパーク・畜大北門経由 大空団地線)

富士銀前〜市役所前〜グリーンパーク〜四中前〜南8線〜北高前〜農校〜畜大北門〜大空団地

E系統(南7線・畜大北門経由 大空団地線)

富士銀前〜市役所前〜四中前〜南7線〜日甜住宅前〜工業高校前〜農校〜駒翠〜畜大北門〜大空団地

 

前編では両社とも一度も行き先として消えることのなかった畜大(畜大農場前)行きですが、行き先として消えたり復活したりの話は後編に続きます。