GO WEST! 新緑通
先日、帯広大谷高校の校舎が建て替えへという記事が十勝毎日新聞に掲載されていました。
公告は4年前に出ていたようです。
今の校舎は1977年竣工で移転も同年とのこと。LEDの行き先表示になってから新緑通の表示もされるようになりましたが、方向幕だった頃は大きく大谷高と書かれたバスを市内で見かけた方も多いことでしょう。
さて、今回はそんな大谷高校(新緑通)へ行くバス路線の歴史の話です。
1.西7条拓鉄バス時代
西7条南14丁目に拓鉄バス(現在の拓殖バス)の車庫があったのは、創立60周年切手の絵柄や付録の路線図でご存知の方も多いでしょう。航空写真を見るかぎり、戦前の拓殖鉄道バス部以前の山口自動車時代には西7条に車庫が存在していた形跡はなく、戦時統合が解消されてから拓殖鉄道のバス部の車庫が置かれたのが最初のようです。
車庫の詳細な設立時期は不明ですが、新緑通の路線バスの始まりは拓鉄バスの車庫への出入系統の運行と言って良いようです。
1953年3月、十勝バスのにとって戦後の新規市内線第1号である帯広駅〜競馬場〜春駒橋の西15条線が認可。1959年7月、西15条線の春駒橋周辺での循環運転が認可されました。十勝バス70年史121ページでは免許年月は1959年7月ですが、同じページの前後の路線は1960年の認可なので春駒橋循環も1960年から運行した可能性があります。この頃までには西15条線ではなく春駒橋線と呼び方が変わっていたようです。
この頃は先述の拓鉄バスの車庫があったので、十勝バスの新緑通を走る路線は西8条より西のみ走っていたようです。
また、近傍で十勝バスは1955年12月に青葉通と春駒通を通る緑ヶ丘病院線、1958年10月には白樺通を通る柏林台線の運行を始めます。
拓殖バスの車庫が西18条の工業団地へ移転する前年の1966年の路線状況は下図の通りです。
帯広駅〜白樺通〜西8条〜新緑通〜春駒橋〜新緑通〜西8条〜白樺通〜帯広駅という循環路線で、朝1便のみ新緑通を経由する柏林台行きがあり、朝ラッシュ時の駅前行きは西2条を通らず西3条9→大通9(富士銀前)→大通11→駅前(川上病院前)という片循環運行でした。また、この当時は帯広駅前午前発の便が緑ヶ丘小学校先回り、午後発の便が西15条13丁目先回りと時間帯により周り順が違ったそうです。
2.北見バス宅地開発時代
従前の15系統春駒橋線とは別に、1977年には現在のイオンの場所にあった大谷高校が西19条南4丁目に移転して、6月に新緑通の西16条以西へのバス路線延伸が認可され19系統西19条4丁目線として運行されます。路線名もバス停も西19条4丁目ですが住所としては西20条南4丁目にバス停がありました。
なぜ、路線名やバス停名が西20条4丁目ではなく西19条4丁目になったか定かではありませんが、南側の春駒通を走る国鉄バスの過半数は西19条行きとして今の西19条5丁目バス停発着の便であったことから西20条より西19条のほうが乗客には分かりやすかったのかもしれません。
この新緑通の十勝バス西19条4丁目バス停と春駒通の国鉄バス西19条バス停の間の畑が、北見バスの不動産部の手により住宅地として開発される寸前の航空写真が下になります。
西帯広ニュータウン開発以前のこの時代に北見バスがなぜこの地を宅地開発しようとしたのか今となっては不明なことが多いですが、大空団地以降西帯広ニュータウンまでの間は民間主導の宅地開発が他にもありますのでそういう時代だったのでしょうか?
また、この時までに、15系統春駒橋線は春駒橋周辺の周り順が時間を問わず西15条13丁目先回りに統一されました。(西14条13→西15条13→春駒橋→緑ヶ丘小学校→西14条13)
朝ラッシュ時の駅前行きの大通経由は維持されてますが、10年前に朝1便あった新緑通経由の柏林台行きは既にありません。
3.十勝バス西進時代
zentokachinoriai.hatenablog.jp
1981年11月に十勝バスの市内営業所・車庫が統合されると、新緑通や春駒通を通る十勝バスの路線は栄通(西10号)を通り国道38号線まで伸びるようになります。
この頃の新緑通を通る十勝バスはまだどの系統(40〜51系統)も同じ経路で運行されていました。
国鉄からJRに変わった1987年4月、JRバスが新緑通公住のある西21条の一部に進出し、同年8月には十勝バスの40系統・41系統音更線が新緑通を開西小学校や西帯広公園の西側にある緑園通を通るようになります。
この頃は、まだ中島通に架かる開西橋がありませんので40・41系統の経路は、帯広営業所〜三条高校〜(緑園通)〜新緑通公住〜大谷高校となります。45〜51系統は従前の国道西20条・西10号橋経由です。
1989年8月に南商業高校が移転しJRバスは新緑通公住からさらに西進し西23条南4丁目まで運行します。同年、十勝バスは中島通に橋が架かりバスが通行できるようになると、40・41系統や春駒通を通る路線は新緑通23条を通るようになります。
1996年5月、国道西20条・西10号橋経由だった45〜51系統が中島通アンダーパス・西10号団地経由へ変更となります。
春駒橋周辺にあったバス停の最大数は以下のように推測します。
▲の場所は春駒橋周辺の循環運行が両周りで行われていた時の推定位置。
現在は緑小1・2のバス停を拓殖バスが、緑小4・5のバス停を十勝バスが使用。緑小6・西14条16丁目・春駒橋・五中入口のバス停が廃止されています。