道東バス (それなりに)全路線一覧

謎多き道東バス株式会社。

釧路地方の雄鉄バスの車両が廃業時に移籍してきたり、時刻表に菱雄の石炭や雄別興産の広告が出ていたなど雄別炭礦系列との関わり合いも多かったようですが、鉄道と違い痕跡の残りにくいバス業界。十勝バス70年史以外には、なかなかこれといった痕跡はありません。

 

そんな中ですが、1965年夏あたりの情報をもとに路線網を書いてみます。一部、推測が含まれますので正しい情報をお持ちの方はぜひコメントにてお知らせください。

 

【1】市内線

(系統番号は筆者が便宜的に割り振ったもので公式のものではありません)

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道東バス 市内線(□は路線の起終点・○は主な経由地)

1  市内本線(駅前〜大通8〜大通6〜電信通〜東10条5)

郊外線もこの経路で走っていたようで、運用として駅前発着の郊外線の出入庫路線を兼ねてました。路線全般が十勝バスの大通・西2条経由中央線や茂岩方面各線と競合路線でした。

 

2 支庁線東11条廻り(車庫前〜営林署前〜六中前〜支庁前〜富士銀前〜駅前〜富士銀前〜支庁前〜六中前〜営林署前〜車庫前)

3 支庁線東9条廻り(車庫前〜東9条〜柏校前〜支庁前〜富士銀前〜駅前〜富士銀前〜支庁前〜柏校前〜東9条〜車庫前)

どちらも駅前を循環する路線となっていますが、車庫から駅前は行きと同じ経路で戻っていました。駅前から六中前までは十勝バスの緑ケ丘病院線と競合していました。

 

4 市内循環線東廻り(車庫前〜国道〜神社〜東3条〜富士銀前〜駅前〜東2条〜26丁目〜西3条26〜西3条〜大通16〜駅前〜富士銀前〜東3条〜神社〜国道〜車庫前)

5 市内循環線西廻り(車庫前〜国道〜神社〜東3条〜富士銀前〜駅前〜大通16〜西3条〜西3条26〜26丁目〜東2条〜駅前〜富士銀前〜東3条〜神社〜国道〜車庫前)

こちらも車庫から駅前は行き帰り同じ経路で、市内南部が循環区間でした。神社から車庫までが十勝バスの柏校経由中央線、9丁目通から駅前は自社の支庁線や十勝バスの緑ケ丘病院線と競合、駅前以南は十勝バスの中央線と循環線の間を縫うように東2条通と西3条通を通っていました。

十勝バス70年史の58ページ、競合事案等処理方針にある十勝バスの小循環線の申請に「B社に対し、市内循環線の増回」を認めるという記述はこの路線のことでしょう。

 

6 日甜線(車庫前〜国道〜神社〜東3条〜富士銀前〜駅前〜大通〜大通26〜西2条〜川西マート〜南8線〜日甜社宅前)

車庫から駅前は市内循環線と同じ経路で、駅前以南は大通を26丁目まで直行して26丁目通・西2条南橋・33丁目の川西農協支所(川西マート)・南8線を通り日甜社宅まで。駅前以南で十勝バスの中央線や大正方面の郊外線、自社の大正廻り糠内循環線、南8線以西の稲田通で十勝バスの畜大線・空港線・八千代線や日甜住宅線と競合していました。

 

十勝バス70年史によると競合事案となった事の発端は十勝バス側だったようで、既にあった駅前〜大通16〜四中〜法広寺〜東官舎〜稲田〜日甜住宅の東官舎線、駅前〜大通16〜四中〜南8線〜日甜住宅線の他に、新規で柏葉高・市役所〜西5条〜日甜購買前の路線を1965年5月4日に申請します。

十勝バスにとっては日甜購買前〜柏葉高1回(市役所6回)という申請は、社宅中心街から柏葉・三条・北高への通学需要を満たすためだったのかもしれませんが、おそらく道東バスにとって脅威だったのは市内南西部(稲田地区)から市内北東部に駅前を直通する路線を持たれることだったのでしょうか?

十勝バスから遅れること一月、道東バスも日甜社宅前〜大通〜富士銀と日甜社宅〜大通〜車庫前(東10条)の2路線を1965年6月7日に申請し、結果両社7回ずつで認可されたようです。

この道東バスの免許申請でいう日甜社宅前が十勝バスの日甜住宅前と同一かはさしたる証拠がないので、同一かもしれませんし、同一ではないかもしれません。当時の南8線寄りの北側社宅街と購買寄りの南側社宅街や工場寄りの東側社宅街の間に流れる売買川に架かる橋は木橋で車両が通れる幅はなかったので、川は渡らなかったでしょうが社宅街での折り返しは十勝バスと違った場所だった可能性はあるかもしれません。

 

一方、道東バス合併後の十勝バス時刻表では、この道東バスの社宅発の路線を引き継いだであろうニッテン線は終点が日甜住宅前ではなくニッテンというカタカナ表記のバス停でこれは日甜購買前にあたります。この十勝バスのニッテン線は道東バスの路線をそのまま引き継いだわけではなく、道東バスの日甜線の経路を利用しつつ購買前の路線と一本化して上手く整理したようです。

 

7 帯里線(東校〜帯里橋〜下水終末処理場南側〜水光園東側〜車庫前)

この路線は免許上の路線キロ1.422kmしか分からず実際にどういった運用をしていたか不明です。帯広駅前まで運行していたでしょうが、東3条経由だったのか違う道路を通っていたのかは一切分かりません。

なぜ帯里橋という今となってはそれほどメジャーな施設でない所にバス路線を申請したかというと、おそらく帯里橋の先に1952年まで越中渡という十勝川渡し船があったからだと考えられます。

www.city.obihiro.hokkaido.jp

 

【2】郊外線

(止若は現在の幕別駅周辺市街地です)

郊外線についてはこれまでも各町村の記事で書いてきましたので詳細はそちらで。実際の運行は次のようになっていたようです。

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道東バス 郊外線(□は路線の起終点・○は主な経由地)

[1]幕別町

 

8 止若線(帯広駅〜札内〜止若)

糠内・新田牧場・池田・本別以遠各線の長距離便とその隙間を止若起終点の便で埋めて毎時2本以上の間隔で運行していたようです。

 

9 糠内線(帯広駅〜札内〜止若〜糠内)

道東バス発祥の路線の一つでもある1930年8月創業の糠内自動車の本線ともいうべき糠内線は5往復。猿別川東岸を走り、下り初便のみ止若始発で送り込んで、残りは全線通し運行でした。創業時も止若〜糠内は5往復で運行を開始しているので、35年経ってもそれほど需要に差がなかったのかもしれません。

 

10 大正糠内止若循環東廻り(帯広駅〜止若〜糠内〜明倫〜西似平〜大正〜愛国〜帯広駅)

全線循環は1便で西似平発帯広行きと明倫発帯広行きを1便ずつ運行していたようです。

11 大正糠内止若循環西廻り(帯広駅〜愛国〜大正〜西似平〜明倫〜糠内〜止若〜帯広駅)

こちらも東廻り同様、全線循環は1便のみで西似平行きと明倫行きの区間便が1便ずつだったようです。

 

12 牧場線(帯広〜札内〜止若〜猿別〜新田牧場)

幕別十字街の五叉路(十字街なのに)をしばらく糠内系統と同一路で南下したのち、おそらく旧国道から猿別の今は十字路(当時は丁字路が連続していた)を経て糠内線とは逆の猿別川西岸をひたすら南下する経路だと考えられます。1日2便の運行でしたが全便帯広直通運行。

ほぼ同じ距離の対岸を走る糠内線より少し所要時間がかかっていたのは、西猿別から新和までの区間で勾配と急カーブがあったからでしょう。もしかしたらかつては図中点線で示したように新田牧場から先、糠内まで走る便もあったかも?

 

13 途別線(帯広〜札内〜途別〜古舞)

札内川猿別川の間の低地を流れる途別川沿いの路線。全線通しが朝夕2便、昼間の1便は途中の途別止まりでした。

 

14 日新線(帯広〜札内〜吐月橋〜依田高台〜日新)

途別川東岸の高台地区を走っていた路線。こちらも図中点線のように日新から先、坂を下って途別まで走っていたかもしれません。

 

15 糠内駒畠線

国鉄バスの駒畠への進出より前、奥糠内と呼ばれていた駒畠には糠内自動車が創業より路線バスを運行していました。十勝バス70年史によると創業時には糠内〜駒畠間で4往復を運行とありますが、1965年頃の時刻表には既にダイヤの掲載がありません。

 

[2]池田町

池田町の路線の歴史はこちらも参照ください。

 

16 池田茂岩線(協力街道経由)

根室本線の線路沿いには国鉄バスの路線があったので十勝川沿いの低地の道路を走っていたのでしょう。道東道が池田までの頃は釧路への高速バスが同じ道を走っていました。

 

17 池田線(帯広〜札内〜止若〜利別〜池田) 

下り3便上り4便。上り最終便のみ急行運転をしていたのは阿寒湖発十勝川温泉行きの特急ぎんりん号から帯広に向かう乗客の接続を取っていたためでしょう。同一乗車券で乗り継げたのかとか乗継割引とか気になります。

 

18 帯広青山線(車庫前→札内→止若→利別→豊田→青山)

帯広駅前ではなく車庫前始発の下りのみの1便。季節運行の阿寒湖特急を除けば下り初便。実質的には次に述べる青山発池田行きの送り込みのための便です。

 

19 青山池田線(青山→豊田→利別→池田)

上りのみ1便。池田への通学便として十勝バスとの合併後も1987年頃までは残っていました。1989年冬ダイヤ改正で青山池田線は廃止されたようですが、これは利用者がいなくなったからではなく足寄から帯広への上り初便が8時発から7時発と1時間早くなり、結果青山から利別乗継で池田まで8時半には到着できる状態が維持されたからでした。足寄線が青山経由から様舞経由になるまでこの接続は維持されました。

そして余談ですが、1993年夏ダイヤで今度は16時15分池田駅前発利別・青山経由高島行きという逆方向の足寄線の区間便が誕生します。今度は下校時間での運行です。夕方の足寄行き1便減便で下校時間に乗れるバスがないための措置だったのでしょうが、これがのちの足寄線の様舞経由への経路変更の伏線となったのかもしれません。

 

20 利別池田線

利別川を挟んだ利別池田両市街地の区間需要と池田から帯広本別方面への乗継需要のための路線でした。こちらも青山池田線と同じく1989年冬ダイヤまでに廃止されました。

先に述べた青山発や帯広池田線の合間で運行していたようです。

 

[3]本別町

本別町の路線の詳細や歴史はこちらを参照ください。

 

20 留真線(本別〜坂の上〜仁生〜活平〜留真)

21 川上線(本別〜坂の上〜英穂〜川上)

22 拓農線(本別〜新町〜講習所〜拓農入口)

講習所は現在の農業大学校。1日3便で昼の1往復は講習所折り返し。道東バスの支線では二番目に日帰りでの駅前市街地滞在可能時間が短く、始発で来ると4時間15分後のバスに乗らないと日帰りできません。

 

23 美里別線(本別〜ビラ〜チエトイ入口〜下美里別〜ラウンべ入口〜上美里別〜活込)

美里別線には指導標という名前が印象的なバス停がありました。

 

24 帯広本別線(帯広〜止若〜利別〜高島〜勇足〜本別)

1965年段階でも1往復の本別止まりが残っていました。帯広市内で特急や急行より停車バス停が3つ多い、言うなれば区間快速運転を行なっていました。

 

[4]足寄町

足寄町の路線の歴史や詳細はこちらも参照ください。

 

25 茂足寄線(足寄〜新町〜中足寄〜ラワン〜上足寄〜茨城〜伊奈〜茂足寄)

茂足寄まで朝夕2往復、上足寄まで昼1往復。その他に夏季は阿寒湖発着の急行3往復あり。

 

26 上ラワン線(足寄〜新町〜中足寄〜ラワン〜上ラワン)

2往復。ラワン〜上ラワン間は所要25分。上り初便はラワンから茂足寄線と同時刻運行。

 

27 中足寄経由上稲牛線(足寄〜新町〜中足寄〜更生〜上稲牛)

28 平和経由上稲牛線(足寄〜平和〜更生〜上稲牛)

朝夕各1往復ずつ。おそらく足寄の他の路線を運行した後に走らせていたため、上り初便が遅くなり、どういう利用をされていたのかあまり想像がつかない路線。

 

29 帯広足寄線(帯広〜止若〜利別〜高島〜勇足〜本別〜仙美里〜足寄)

季節運行1往復を含む5往復。こちらも帯広本別線同様、帯広市内で特急や急行より停車バス停が3つ多い、言うなれば区間快速運転を行なっていました。市内停車バス停は帯広駅前、大通8丁目、大通6丁目、東3条、東5条、東8条、東10条、市立病院入口(以東各駅)

 

30 雌阿寒温泉線(雌阿寒温泉〜登山口・阿寒湖畔)

雌阿寒温泉発初便と最終の雌阿寒温泉行きのみ阿寒湖畔から直通運転で、あとの9往復は登山口で折り返していました。

 

31 阿寒湖特急まりも号(帯広駅前〜大通8〜東5条〜本別〜足寄〜登山口〜展望台〜阿寒湖畔)

下りは第一と第三まりも、上りは第四(始発なのに第四)と第一まりもが特急でした。

 

32 阿寒湖急行まりも号(帯広駅前〜大通8〜大通6〜東5条〜東10条〜札内〜止若〜利別〜青山〜高島〜勇足〜キロロ〜本別〜仙美里〜足寄〜中足寄〜ラワン〜上足寄〜茂足寄〜登山口〜展望台〜礦業所〜阿寒湖畔)

下りは第二と第四まりも、上りは第二と第三まりもが急行でした。特急に比べて旅行者があまり利用しないであろう停車バス停もあります。阿寒湖速達と帯広から利別以北速達も兼ねていたのかもしれません。

 

33 十勝川温泉阿寒湖線ぎんりん号(十勝川温泉〜利別〜阿寒湖畔)

阿寒湖への5往復中1往復は帯広発着ではなく十勝川温泉発着でした。下りは急行、上りは特急で運行していたので、同じ路線でも上下で停車バス停数が違います。

ぎんりん号に乗ってしまった帯広に行きたい人や十勝川温泉発の時刻を帯広発だと勘違いした人のために、往復ともに利別でぎんりん号と接続する便がありました。至れり尽くせり。

 

[5]陸別町

陸別町の路線の歴史や詳細はこちらも参照ください。

 

34 9号廻りトマム循環線(陸別〜9号〜上トマム〜中トマム陸別

35 中トマム廻りトマム循環線(陸別〜中トマム〜上トマム〜9号〜陸別

いわゆるトマム循環線。3便あり朝が9号先廻り、昼夕が中トマム先廻り。

 

36 上陸別線(陸別〜中陸別〜作集〜上陸別

陸別川沿いを通る路線。1日2往復。ダイヤとしてはトマム循環線の合間で走らせていたようで初便は遅く終便は早く、道東バスの支線では一番日帰りでの駅前市街地滞在可能時間が短く、始発で来ても3時間40分後のバスに乗らないと日帰りできません。

37 勲袮別線(陸別〜勲袮別)

38 小利別線(陸別〜川上〜日宗〜小利別)

小利別線は鉄道並行路線ですが、日宗に駅はないので住人がいるうちは利用もあったでしょう。

 

39 足寄陸別線(陸別〜大誉地〜上利別〜下愛冠〜足寄)

こちらも鉄道並行路線ですが道東バス(十勝バス)の陸別撤退時に大幅に路線を短縮して、下愛冠団地(足寄土現前)〜足寄の路線として生き残ります。

 

以上、39系統でした。1965年時点では既に休廃止になっている路線も出ており、追記する可能性もあります。