失われたバスタッチの遺構を求めて 本編
意外に長くなったこれと
zentokachinoriai.hatenablog.jp
これ
zentokachinoriai.hatenablog.jp
の続きです。やっと本題。
2002年6月2日まで使われていた帯広駅前バスタッチ。線路側にあった待合室や道路などは鉄道高架事業や今の帯広駅バスターミナルを造るために取り壊されましたが、ではバスタッチの遺構は何も残っていないのかというと実は残っています。
それは8つあった乗り場の上屋です。残念ながらどれがどの乗り場か全て特定できてはいないのですが、どれも元バスタッチの遺構なのは確かです。1つずつ見ていきましょう。
まずはフロンティア通こと国道241号帯広北バイパス沿いにある拓殖バスの国立帯広病院前バス停。
歩道側にうっすら旭川行きと読めそうな文字が見えるので、もしかしたら7番乗り場から移設したのかもしれません。
次は十勝バス協会病院前バス停。こちらは両方向とも元バスタッチの上屋です。
東行きは何の情報も読み取れませんでしたが、
西行きの車道側には文字が残ってます。
車が途切れなくて車道側から写真が撮れなかったのですが、そこは文明の発達した21世期なので何の躊躇もなく便利なもののお世話になります。GSV様々です!
拡大すると釧路ゆきすずらん号の文字が見えるでしょうか?左端にものすごくうっすら見えるのはおそらく二階建ての文字なのでグリュック王国行きの案内でしょう。なので協会病院前の西行きは3番乗り場から移設したのではないかと考えられます。
続いて十勝・拓殖両社の西3条9丁目バス停。かつては西側(旧イトーヨーカドー側)のみ上屋が二つありました。
十勝バスの方は今でも残る一方情報が分かりませんが、拓殖バスの方ははっきり出所が分かりました。なぜ過去形かというと拓殖バスの上屋は撤去され今はもうありません。
拓バスの上屋のメクラ板が取れて懐かしい感じに pic.twitter.com/nQsV6cZIGk
— みよえ (@miyo_e) 2019年6月3日
このツイートの貴重な画像から北行き南側の拓殖バスのバス停は元5番乗り場の上屋だとはっきり分かります。
更に続いて、十勝バス拓殖バス両社が停まる西2条1丁目バス停。
歩道側は特徴がないですが車道側は
左上の柱の間にうっすら高速ポテの文字が見えるでしょうか?真ん中の柱から右はトライナーと読めなくもありません。なのでここは元6番乗り場の上屋と言えそうです。
続いて十勝・拓殖両社が停まる西5条13丁目(南行き)
ここも拓殖バスの西3条9丁目と同じく既に撤去されていますが過去のGSVには残っています。
最後に十勝・拓殖両社の停まる第一病院前(南行き)
ここは他と違い車道側から見やすく更新されてますね。バスの運転手さんと乗客の双方にとって良いことですが、こうなると何の手掛かりも得られません。
まとめるとバスタッチに8つあったバス停の上屋は全て移設され、移設先は
(1)国立帯広病院前
(2)協会病院前(東行き)
(3)協会病院前(西行き)
(4)西3条9丁目(十勝バス)
(5)西3条9丁目(拓殖バス)※撤去済
(6)西2条1丁目
(7)西5条13丁目(南行き)※撤去済
(8)第一病院前
バスタッチ時代の乗り場が分かっているのは
(1)国立帯広病院前=7番乗り場
(3)協会病院前(西行き)=3番乗り場
(5)西3条9丁目(拓殖バス)=5番乗り場 ※撤去済
(6)西2条1丁目=6番乗り場
となりそうです。