国鉄バス対十勝バス 4線5線戦争序章!

1970年代も後半になると人口の増えた帯広市内の住宅地は南2線(白樺通)以北では柏林台団地以降西10号団地、西11号団地、西帯広団地、共愛団地で既に住宅が建ち並び始め14号団地の分譲を待つのみとなっていました。そうした飽和状態で新規で住宅を建築するため柏林台南西部の南2線以南西7号以西の宅地開発が行われ始めます。ここではまず十勝バスの西進運動こと1981年11月改正直前の帯広市内の南3線(新緑通)以南のバス路線の様子を見てみましょう。(大字は路線の起終点、小字は主な経由地、線の太細は便数の差です)

 

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まずこのエリアでは国鉄バスが1948年に路線バスを走らせます。国鉄バスに関しては詳しい所がたくさんありますのでそちらに委ねるとして、この時住宅街らしきものがあるのは緑ケ丘と鉄南保育所周辺くらいです。1953年2月北海道立緑ヶ丘病院が開設されると民間の路線バスも春駒通での運行を模索します。競馬場東側が新町東の住宅街ではなくまだ養鯉場があった頃です。前後して西14条南14〜15丁目が豊川分譲地としてまた西16条南4丁目が富貴町分譲地として住宅が建ち始め、1959年帯広市立第五中学校と帯広市立南商業高校が創立します。十勝バスでは15系統春駒橋線が駅前〜春駒橋を、6系統が六中前〜緑ヶ丘病院を走っています。この時6系統が水光園ではなく六中前を起終点にしたのは水光園の隣に道東バスの車庫があったからです。

1977年には帯広大谷高校が西19条南4丁目に移転し、またその西隣り西20条南4丁目では北見バスの開発した宅地分譲地の販売が始まります。上の路線図でいうと十勝バス19系統の終点西19条4丁目と国鉄バス西十九条の間のエリアです。また、大谷高移転に合わせ十勝バスは19系統西19条南4丁目線の運行を始めます。

 

十勝バスが営業所を統一するまで南4線こと春駒通で国鉄バスと十勝バスが競合していたのは緑ヶ丘病院から緑ケ丘小学校までの2km弱がメインでまだ穏やかでした。国鉄バスファンの間ではバス停名が緑ケ丘学校か緑ケ丘小学校かで話題になる小学校ですが、実はそもそも学校名は緑丘小学校が正しくケの字は付かないのでした。ちなみに緑ヶ丘病院や緑ヶ丘郵便局は小さな緑ヶ丘、住所としては大きな緑ケ丘の字を使ってました。国鉄バスは大きな緑ケ丘、十勝バスは小さな緑ヶ丘の字を使っていたと思います。国鉄バスと十勝バスの南4線(春駒通)での競合は帯広駅〜西十二条でも起こっていました。十勝バスの路線は便数僅かな緑ヶ丘経由大空団地線(後の刑務所線)ですのでここでは圧倒的便数の国鉄バスと競合はしていないと考え路線図には含めませんでした。

 

さて、徐々に西進し始める帯広市街に呼応するかのように国鉄バスと十勝バスも路線の西進を始めます。同じ道を西進し続ける限り起こり得る衝突!それを避けるために編み出した国鉄バスの秘策とは?次回をお楽しみに!