(暫定版)帯広駅前周辺のバス停のこと その1十勝バス編(現在調査中)

※注意 この記事は同じバス停でどちらの会社のバス停パールが前か後かなど曖昧なところがあります。バス停の位置に間違いはないはずですが指摘や情報がありましたらお知らせいただけると嬉しいです。

 

みんな大好きイトーヨーカドー西隣のバスターミナルと違い話題になることが案外なかった帯広駅前周辺のバス停群。時代によって変遷していますが地平駅舎最後である民衆駅時代の駅前周辺でバスタッチ完成までの間のお話です。バス停名は様々ですがどれも帯広駅前として扱われました。

 

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今までの図はそれなりに縮尺に配慮してきましたが今回の図は特に駅前広場は縮尺が実際とはかなり異なると思います。駅が青色1の下側、西3条が黄色9、西2条は赤色2黄色5の間です。あくまで概略図として昔の地図などと照らし合わせてご覧になることをお勧めします。

ではさっそく十勝バス(黄色丸数字)から見ていきましょう!十勝バスの系統番号と路線名は1981年夏ダイヤ基準になります。(81.11以降の十勝バスの路線別のりばは81.11改正の記事内【4】をご覧ください。丸数字はどちらも共通です)

 

【0】十勝バス前(本社前、もしくは駅前十勝バス)

今までの記事でずっと十勝バス前と書いてきましたが81.11以前の時刻表では十勝バス本社前、以後のでは駅前十勝バスという表記です。案内放送とかでは十勝バス前と言ってたと思うのですがどれが正しかったのでしょう?そんな余談はともかく 1981年5月ダイヤでは以下の路線が使用していました。

9〜10系統音更線、13系統中鈴蘭線、16系統芽室線、22〜23系統西帯広団地線、24系統芽室南線、30系統音更・緑陽台団地線、31〜33系統中央線(市立病院行き)、43系統中島橋線、44系統流通団地線、51系統新得線、60系統鹿追線、77〜78系統東士幌循環線

 

【1】駅前1番のりば(駅前広場内)

地平時代の駅舎の様子はあちこちに画像がありますが駅前広場1番のりばも写っている画像はあまりありません。81.11改正後の様子では全体ではなくほぼ全部になりますが

根室線・帯広駅−さいきの駅舎訪問

に画像があります。この画像の屋根下にある行き先の一覧について補足すると左から「札内・あかしや団地・幕別温泉方面ゆきのりば」「幕別・途別・古舞・糠内方面ゆきのりば」「利別・池田・本別・足寄方面ゆきのりば」駅舎がメインなので途中で切れてますが「茂岩・大津・長節湖・浦幌方面ゆきのりば」になります。この更に右にもう一つ屋根付きのベンチがあって屋根下の行き先案内の看板は「市役所・西5条・西23条(営業所)方面ゆきのりば」だったはずです。(曖昧)屋根の行き先表示の所にその行き先のバスが停まるわけではなく先頭から詰めて停まっていました。81年夏ダイヤでは以下の路線が使用していました。

5系統十勝川温泉線、14系統筒井温泉線、21系統幕別線、42系統足寄線、52〜53系統池田線、55〜56系統幕別温泉線、63系統途別線、64系統糠内線、76系統喜楽沢線、特急阿寒湖線

郊外線はバスタッチ完成後に1番のりばから移動したので使用する路線がなくなってしまいますが1991年4月改正で70系統大空団地線で「駅前」バス停とバス停名を変えて再度1番のりばを使用します。

 

【2】駅前2番のりば(本社裏)

8系統畜大線、27系統帯広空港線、34系統川西中学校線、35系統大正線、36〜37系統広尾線、39〜40系統大樹線、74〜75系統八千代線、79系統大和線、80系統西似平線

 

【3】駅前3番のりば(はとや前)

15系統春駒橋線、17系統柏林台線、19系統西19条4丁目線、38系統浦幌線、50系統上士幌線、57系統大津線、58系統長節湖線、糠平

 

【4】富士銀前

昔の時刻表を見る時に注意がありまして1960年代の時刻表の富士銀前は今の大通9丁目にあたります。では今でもバス停が残っていればみずほ銀行前になったであろうこの富士銀前は当時何というバス停名だったかというと勧銀前になります。

2系統循環線2コース(南廻り、北廻り)、6系統緑ヶ丘病院線(水光園行き)、7系統大空団地線、25系統日甜住宅線、28系統畜大北門経由大空団地線、29系統刑務所線

 

【5】かじのビル前

1系統循環線1コース(南廻り、北廻り)、6系統緑ヶ丘病院線(緑ヶ丘病院行き)、31〜33系統中央線(大通27丁目行き)

 

【6】福井旅館前

81年夏ダイヤでは西1条11丁目になっており福井旅館前はもうありませんでしたが記録として載せます。

1960年代の十勝バス時刻表にかじのビル前がどういった状況だったのか経緯は不明ですが「福井旅館前発19時以降の各線はかじのビル前より発車致します」という表記があります。ところが時刻表にかじのビル前の時刻を掲載している便はあれど福井旅館前を発車する便の掲載がありません。上のかじのビル前を使用していた路線が19時までは福井旅館前から出ていたのかそれとも福井旅館前から出ていた路線が別にあったのか?

後にこのバス停は東側に移設され西1条11丁目という市内線のみ停車するバス停になります。広尾方面行きなど駅前2番のりばから出る路線はこのバス停の前を通過しても使用しませんでした。81年11月改正時に西1条11丁目はあくまでかじのビル前の次のバス停という扱いでした。

 

【7】川上病院前

こちらも福井旅館前同様81年にはもうなくなっていました。昔の時刻表には「川上病院前発19時以降の各線は十勝バス前より発車致します」という表記がありますがこちらは時刻表に川上病院前と書かれているので分かりやすいです。81年夏ダイヤでいう駅前3番のりば(はとや前)や富士銀前から出る市内線で使用していました。反対側の福井旅館前と違いこのバス停は移設されることはなく一旦は消えてしまいます。しかしその後の帯広駅前バスタッチや現在の帯広駅バスターミナルに最も近いバス停と言えるかもしれません。

 

【8】駅前

このバス停は西2条通を北から来た路線がかじのビル前の後再び西2条通りの富士銀前へと戻る際に通過していました。1981年11月から70系統大空団地行きで通過していたはずですがかじのビル前や富士銀前という一大拠点に比べ地味な存在でした。1985年5月からの75系統稲田橋線も稲田橋行きで通過していたはずですが使用していたかどうか不明です。後に駅前広場1番のりばを駅前バス停へ名称変更し70系統が富士銀前〜郵便局前〜市役所前から駅前〜西3条9丁目〜市役所前に経路変更するとここはバス停のポールだけ残されごく一部の駅前周辺で時間調整する必要がある便のみ使用するようになり後に廃止されます。

 

【9】西3条10丁目(十勝イン前)

zentokachinoriai.hatenablog.jp

の9番目のバス停と同じです。ここは81年大改正後も残りました。いわゆる降車専用。

 

十勝バスだけで長くなってしまいましたので一旦ここまで。拓殖バスと国鉄バスは後半へ続きます。