停名地名不一致の謎 第1回 西似平は誤字?

zentokachinoriai.hatenablog.jp

 のちょっと寄り道こぼれ話を。

 

十勝バスには2004年3月まで西以平(にしいたいら)というバス停まで行く西以平線という路線がありました。当初は帯広市街地から国道236号を通り川西を経て大正バス停までは広尾線と同じ経路。大正バス停の後は18号道路を東進。大正小学校〜東3線〜東4線(ここが先の広尾街道=旧広尾道路との交点)〜東6線〜上途別西〜元以平〜上途別東〜以平〜西以平に至るさながら広尾線の支線といった感じの路線でした。

郡部の支線でも朝昼夕の一日3往復が基本だった十勝バスの路線において1981年11月白紙改正前で既に2往復という超を付けても良いくらいのローカル線で、この時他に一日に2往復しか運行していなかったのは市内小循環線や畜大北門経由大空団地線といった市内幹線の補完路線と(国鉄バスと共同運行の)日勝線や然別・阿寒線といった観光路線の他は本別から上美里別までの美里別線と帯広から筒井温泉の奥に至る喜楽沢線という純然たるローカル線のみでした。

帯広空港開業で空港線(普通)が増えたこともあり1984年5月改正では朝の下りを減便して1.5往復にしかつそれまで大正地区からの上り初便だった大樹発帯広行きより先に西似平発初便を走らせる組換えにより収支を好転させようとしますが叶わず、1986年5月改正では夕方の上りが減便され上下1往復のみになりました。

減便されながらもなんとか帯広駅まで直通はしていた西以平線ですが1991年4月改正で下りのみ帯広〜大正と大正〜西以平に分割され2003年10月改正では国鉄広尾線代替バス運行開始後依田線→愛の国線と転々としていた北愛国経由の系統と統合する北愛国大正線として最後の半年を迎え廃止されました。今はあいのりタクシーとして大正交通が以平を含む大正地区の農村部の旅客輸送を担っています。

 

前置きが長くなりましたが本題へ。まずはこの画像をご覧ください。

 

f:id:Zentokachinoriai:20180125024422j:plain

 

これは1980年4月の前のりワンマン車の方向幕一覧になります。ここで注目して欲しいのはもちろん当時80系統だった西以平線です。よくご覧ください。西以平です。

「西以平なんてないじゃないか!」

と言える方は目が良いです。よく見ると西以平ではなく西似平と書かれています。分かりますか?じゃなくてですよ!

「間違っている!」「誤字じゃないか?」「バス会社は小学校で習う漢字も分からないのか?」と言える方は残念ながら江戸川コナンなのか頭が固い人のどちらかです。少なくとも1957年3月までは以平ではなく似平のほうが正しかったのです。かつては以平ではなく似平だったのです。

地名が残りやすい世界三大物件こと駅、学校、郵便局。今も昔も以平に鉄道駅はできませんでしたがそれでも似平だったことを教えてくれる所はあと二つあります。一つ目は帯広市立第七中学校の学校紹介。二つ目はちきページ【古よりの地名最後の砦】さんの郵便局データベース。ちきページさんのは郵便局名が似平から以平に変わった年月日まではっきり分かります。七中に似平の名前が載ってるなら大正小学校のHPにも載ってるかなと探したのですが見つからず。廃校に詳しいところも見ましたが以平、似平の違いに気付いている方、気付いていない方、どちらが正しいのか迷う方様々です。

 

まだ正確な日付を調べきれてないのであくまで仮説ですが幸震村や大正村だった頃の地名は間違いなく(イタラタラキ→)似平だったと思います。1957年4月大正村は川西村と共に帯広市と合併します。そのおよそ10年後の1967年2月似平簡易局は以平簡易局に改称します。郵便局が改称したということはおそらくそれまでに旧大正村域で字名変更が行われたのではないかと思います。ただ、とかち学び舎物語では以平周辺の上途別、上似平小学校の各学校が帯広市に合併して村立から市立になった際に今の字名と同じ桜木、泉小学校に改称したとあるので似平もこの時以平に変わった可能性はあります。合併と同時の1957年4月か落ち着いてきた1967年2月。そのどちらかで字名変更が行われ似平は以平になったと思われます。

 

最後になりますが十勝バスとしての似平という路線名とバス停名は遅くても1989年9月まで残っていたと思われます。地名としてはもう似平から以平になってたのになぜそこまで残ったかは不明ですし1987年2月の国鉄広尾線代替バス運行開始時に変わってもよさそうですが既存の広尾方面の路線バスに大掛かりな変更がなく快速便が増便される程度で白紙改正ではなかったので後回しになったのかもしれません。